Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

待つことの大切さ

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 ヘブル人への手紙 11:1

私たちは、とにかく待てない人間です。特に私なんかは、本当に待てない。

何事も、即座に起こらないと気が済まない所があります。ですから、神様に祈った後も、瞬間的に祈ったことが成就する事を望みます。

ですが、そんなことはほとんどありません。なぜなら、神の時と私たちが願っているタイミングは、往々にして時差があるからです。

このことは、聖書の中でも大きなテーマとなっています。

アブラハムの例を考えてみましょう。アブラハムは、カナンの地を与えると約束されて旅立ちましたが、実際にカナンの地を得たのは、アブラハムが死んで数百年たった後でした。

ヨセフの例も考えてみましょう。ヨセフはエジプトに売られ、牢獄に投獄されました。彼は牢屋から脱することを望みますが、チャンスはあってもなかなか抜け出せませんでした。彼が抜け出せたのは、思っていたよりずっと後でした。ですが、エジプトの宰相になるという、思いがけない祝福を得ました。

新約時代の聖徒の例を考えてみましょう。彼らは主の再臨を信じ、迫害をものともせず、福音を述べ伝えました。彼らは主の再臨を待ち望みましたが、それはまだ起こっていません。

そのほかにも、聖書には「待った人」の例がたくさん出てきます。

これほど聖書に「待つ」ことが強調されているということは、私たちも、忍耐して待ち続ける事が必要なのではないでしょうか。

どうか、主の約束を信じ、待ち続けることができますように。