Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

愛について考える

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。 (‭コリント人への第一の手紙‬ ‭13‬:‭3‬ JA1955)

今日は、愛について考えたいと思います。

今日の箇所の前半と後半は、一見矛盾しているように思います。全財産を人に施したり、自分のからだを焼かれるために渡すなんて、愛がなければできないように思います。

しかし、イエス様の時代の律法学者やパリサイ人がそうであったように、愛が無くても、自己愛からそのような犠牲的行為ができたのです。

では、イエス様はどうだったでしょうか。恐れ多いですが、イエスは自分の運命を悲観して、悲劇のヒーローを気取ったのでしょうか。

絶対にそんな事はありません。

イエス様は、全人類を愛し、人々が罪のうちにいる事を非常に悲しまれました。

そうでなければ

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。 (‭ルカによる福音書‬ ‭23‬:‭34‬ JA1955)

とは祈れなかったでしょう。

この祈りは、世界を、そして私たちを変えた祈りであります。

今日、もう一度救いの原点に立ち返り、救いの恵みを思い起こしましょう。

この事によって、新しい一歩が踏み出せますように。