今日は、愛について考えたいと思います。
今日の箇所の前半と後半は、一見矛盾しているように思います。全財産を人に施したり、自分のからだを焼かれるために渡すなんて、愛がなければできないように思います。
しかし、イエス様の時代の律法学者やパリサイ人がそうであったように、愛が無くても、自己愛からそのような犠牲的行為ができたのです。
では、イエス様はどうだったでしょうか。恐れ多いですが、イエスは自分の運命を悲観して、悲劇のヒーローを気取ったのでしょうか。
絶対にそんな事はありません。
イエス様は、全人類を愛し、人々が罪のうちにいる事を非常に悲しまれました。
そうでなければ
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。 (ルカによる福音書 23:34 JA1955)
とは祈れなかったでしょう。
この祈りは、世界を、そして私たちを変えた祈りであります。
今日、もう一度救いの原点に立ち返り、救いの恵みを思い起こしましょう。
この事によって、新しい一歩が踏み出せますように。