Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

患難をも喜ぶ信仰とは

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。
(‭ローマ人への手紙‬ ‭5‬:‭3-5‬ JA1955)

パウロはこの言葉を、神との平和という文脈で語っています。今日は、その事を土台として、このみ言葉を味わいましょう。

患難というのは、誰にでもある事です。クリスチャンになっても、他の人と同じか、あるいはそれ以上に患難が押し寄せてきます。

患難は悲しいもの、辛いものですが、パウロはそれさえも喜んでいると言います。

なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出すからであると言うのです。

ここで言う「忍耐」と言うのは、単に歯をくいしばって耐えるという事ではなく、神との平和を得ているという確信の故に耐える事であります。

神との平和を得ているなら、全ては益であると信仰によって確信し、忍耐する力が生じるのです。

そのような忍耐によって、練達(練られた品性)が生み出されるのです。

そして、練達は希望を生み出すと言います。この希望とは、神の約束の確かさ故の希望です。

私たちは、神様の救済計画を信じ、信仰によって救われました。

この約束は途中で挫折することも無ければ、中止になる事もありません。神様の人類救済計画は、今でも着々と進行しているのです。

神様の恵みによって、この希望は失望に終わることはない。と信仰によって宣言できるお互いに変えていただきましょう。