Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

主を待ち望む信仰

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。 (‭イザヤ書‬ ‭40‬:‭31‬ JA1955)

イザヤ書40章は、捕囚のイスラエルに対する解放を始めとする、神の救いのみわざを預言した箇所です。

イスラエルの民は、捕囚の地で苦役に苦しみ、体は疲れ果てていたでしょう。

また、自分たちの解放の祈りが聞かれないように見える事から、神様が休んでおられるような思いになった事でしょう。

そのような民に、イザヤは今日の預言を語ったのです。

このみ言葉のポイントは、「主を待ち望む」事だと思います。

主を待ち望むという言葉は、この預言が語られた時代では、捕囚からの解放を指していたと思います。

あるいは、来たるべきキリストの来臨を指していたかもしれません。

新約聖書にも、同じようなみ言葉があります。

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。 (‭コリント人への第二の手紙‬ ‭4‬:‭16‬ JA1955)

このように、主を待ち望むという事は、聖書全体を用いて語られる希望です。

今日、もしかしたら目の前に希望が無いかのように思うかもしれません。

ですが、主なる神様は愛なる神様ですから、私たちを絶望のままで放置される事はありません。

この事を信じて、主を待ち望む生活をさせて頂きましょう。