Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

試練の中での信仰

あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。 (‭ヘブル人への手紙‬ ‭12‬:‭3‬ JA1955)

今日の箇所は、試練の受け止め方について語られた箇所です。

生きていると、大小様々な試練に遭遇します。

私たちは、できれば試練から逃れたいと思っていますし、可能な限り平穏に暮らすことを望んでいます。

では、完全に人であり、かつ神であるイエス様はどうだったでしょうか。

イエス様は、ゲッセマネの園でこう祈られました。

「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。 (‭マタイによる福音書‬ ‭26‬:‭39‬ JA1955)

イエス様も、できれば十字架という試練から逃れたかったのです。

十字架は、肉体的な苦痛はもちろん、精神的な苦痛も想像を絶するほどであったでしょう。

しかし、イエス様は十字架の先にある、復活と昇天を望みとして、この試練を乗り越えられたのです。

私たちにも、永遠の命という望みが与えられています。私たちは、死んで終わりではなく、死んでも生きるのです。

私たちが会う試練は、血の汗を滴らせて祈るほどの試練ではありません。

それに加えて、イエス様が私たちと共に苦しみ、耐えてくださるのです。試練の中にいる時でも、一人ではないのです。

今日も、この事を覚えて主に感謝しましょう。