今日は、片手のなえた人の話です。
今日の箇所は、パリサイ人がイエス様を訴える口実を得ようとして、片手の萎えた人をイエス様の前に置いた所から始まります。
ユダヤ教の言い伝えである口伝律法では、安息日には死にかけた人を癒すのは良くても、彼のように緊急を要しない人を癒すのは律法違反でした。
パリサイ人たちはそれを口実に訴えるために、手の萎えた人を連れてきたのです。
パリサイ人に愛はありませんでした。それどころか、イエス様に対する憎しみに心が支配されていたのです。
そんな中でも、イエス様は羊が穴に落ちた時の事を例に出して、羊が良いなら人間を助ける事は良い事だと宣言されました。そして、冒頭で取り上げたみ言葉のように癒されたのです。
これを見たパリサイ人は、イエス様を殺す方法を相談し始めました。この事件を境に、イエス様の十字架が現実的な物になってきたのです。
イエス様は、全てご存知の上で彼を癒されました。主は最初から十字架に至るまで、犠牲の愛を貫かれたのです。
この愛は、私たちにも注がれています。今週一週間も、この愛に応答し、またこの愛を人々に実践していく生活ができますように。