Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

弱さを分かち合う勇気

こんばんは。

最近、暑いですねが口癖になっています。私は、暑いのが苦手なのです。

持病のアトピー性皮膚炎も、今年はマシですが、やはり暑いと若干ひどくなります。あと、どうやら体温調整が苦手らしく、夏はだいたいぐったりしています。

そんな中でも、なんとか仕事をこなし、生活できているのは本当に感謝な事だと思います。ほんとうに。

さて、最近特に、弱さについて考えます。

聖書には、弱さについて語った箇所がいくつも出てきます。

いくつもと言うより、聖書全体が、人間の弱さについて語った書物ではないかと思います。

人間の弱さというのは、思いつくだけで三つくらいあると思います。

  • 罪に対する脆弱性
  • 肉体的な弱さ
  • 精神的な弱さ

クリスチャンが一番よく話題に挙げるのは、罪に対する脆弱性だと思います。

パウロがローマ人への手紙で語っているように、私たちは自分のしたいと思っていることをせず、かえってしたくないこと、つまり罪だと分かっていることをしてしまうのです。

このような死の体から私たちを贖ってくださったのが、主なるイエスキリストであるのです。

これはちょっと皮肉のような面もありますが、クリスチャンは肉体的な弱さを語ることが多いです。なぜなら、教会にはご老人が多いからです、

教会での話題が、まるで病院の待合室のようだなんてことも、笑い話では済まないほど深刻化しているのです。

それはよいとして、今教会に欠けている意識は、三つ目の精神的な弱さを抱えた人に関する事ではないかと思います。

近年、メディアでうつ病が取り上げられることが多くなり、精神科の受診に対しても、幾分かハードルが下がったように思います。

しかしながら、依然として教会の精神疾患に対する無知さというのは、残念ながら認めざるを得ません。

うつ病の方を励ましてはいけないとか、そういう教科書的な知識があればまだよい方で、ある人は信仰が薄いから精神疾患になるのだと本気で思っています。

もちろん、そういう方であっても口には出しませんが...

このような問題は、教会の問題と言うより、日本社会の問題ではないかと思います。

今こそ、教会が弱さを分かち合う勇気を持ち、弱さをさらけ出せる環境になるべきだと、最近は考えております。

何も、最初から精神疾患の方と積極的に関わる必要はないのです。まず精神疾患について学び、それから徐々に当事者との関わりを持っていけばよいのではと思います。

精神疾患を抱えるパートナーを持つ身として、この問題は非常に身近な問題です。また機会があれば、このことについて書こうかと思います。

こんな感じで、今の思いを書き出すのはよいですね。定期的にやってみようかと思います。