安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ
申命記 5:12
私は、どうも休むことに対して抵抗を感じる。
過去に、休まずに活動しっぱなしで、体調や精神状態を崩したことが何度かあるのだけれでも、何故か未だに抵抗がある。
抵抗というか、恐怖に似たものかもしれない。
今日、文明の発達のおかげで、働こうと思えばいつでも・どこでも・どれだけでも働けるようになった。
暴論ではあるけれども、物理的制約さえなければ、仕事が期限内に終わらないのは人間に原因がある。
そんな状態なので、私は自分が責められるのが怖いのかもしれない(実際、責める人はいないのだけれども)。
こういった考えは、一見勤勉で良い考えだと思われるかもしれない。しかし、クリスチャンとしてはどうだろうか。
私たちは、自分の力だけで仕事を遂行しているように思ってしまいがちである。しかし、仕事をこなすための知力、体力、気力は神様が与えてくださるものである。
私達が、自分の限度を超えてまで仕事をするというのは、神様を信頼していないことの現れではないだろうか。
今日、ふとそんなことを思った。
私たちは、自分で頑張って仕事を遂行するのではない。ただ主により頼みつつ、一歩一歩前進していくのである。
明日も、私達の仕事の上に、主の導きがありますように。