時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って 言った、「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
マタイによる福音書 26:14-15
あなたにとって、イエスキリストはどの程度の価値があるお方でしょうか。
当時の指導的立場であった祭司長たちは、イエスの値段は銀貨三十枚だと見積もりました。
会社勤めをしていると面白いもので、いろいろな見積金額を見ます。プログラムを数行変更するだけで数十万かと思えば、かなりの工数を要する成果物が、意外なほど安い値段で叩き売られていることもあります。
何かの値段を見積もるというのは、価値観に大きく左右されるものなのです。
銀貨30枚という値段は、当時奴隷1人を売り買いする値段であったとされています。つまり、メシアであるイエスキリストの価値を、彼らは奴隷と同じくらいにしか思っていなかったのです。
はじめの質問に戻りますが、私たちはどうでしょうか。
申命記に、次のようなみことばがあります。
イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
申命記 6:4-5
私たちは、神である主イエスを、何よりも尊いものとして愛しているでしょうか。
世の中には、様々な誘惑があります。時には、聖書のみ言葉より、誘惑のほうがずっと魅力的に感じてしまうことも、あるいはあるかもしれません。
しかし、私たちは、イエスの価値を銀貨30枚に見積もった祭司長や、それっぽっちの値段で売り渡したユダのようであってはなりません。
主にお従いし、主を心から愛せるよう祈りましょう。
明日は、聖日礼拝です。全国の教会の礼拝が、主に喜ばれる礼拝となりますように。
また、礼拝を守る私達が、心からの礼拝を捧げることができますように。
主にある平安が、この記事を読まれた方の上に、そしてすべての人の上にありますように。