Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

何もない日々こそが、かけがえのない日々なのかもしれない

熊本地震の件、お祈りしています。

この一週間は、「何もない日々」の大切さを感じた一週間だった。

仕事ではテスターの故障があり、先日は熊本の地震があった。何もない、平凡な一日というのは、突如として取り去られるものである。

人々は、同じ日々の繰り返しに飽き飽きする性質がある。これは今に始まったことでは無いと思う。

創世記では、アダムとエヴァが、エデンの園での何不自由ない生活を捨てて、非日常的な「禁断の果実」を手に取ってしまった。

彼らは、だんだんとエデンの園での生活に飽き飽きしてしまったのかもしれない。

しかし、その結果得られた生活は、苦労の連続であった。食べ物は苦労して得ないと行けないし、人々の間には、争いが絶えなくなってしまった。

 

非日常に投げ込まれた人々は、その時始めて、日常の大切さを知る。

たぶんそれは、自分が実際に非日常を経験するまで、はっきりとはわからない。

 

今日は天気が良かったので、久しぶりに大切な人と公園を歩いた。

何度も歩いた、新鮮みは特にない公園だ。

それでも、彼女と手をつないで歩くたびに、僕はとても幸せな気分になる。

幸せというのは、主観的な物だと思う。他の人が大して幸せを感じない場面でも、その人にとっては大切な一瞬かもしれない。

 

地震は、多くの人や物を奪ってしまう。それはとても悲しい。

でも、そこにも神様の御心があることを信じたい。

 

僕は、多くの何もない日々を、感謝して生きよう。たとえ動けなくなる日が来ても、僕は「きょう」を生きたい。

「きょう」を生きる中で、熊本の人、福島の人、あるいはこの地上のどこかで困っている人たちのために、些細なことでもいいから続けたい。

大きな事はできないかもしれない。現地に行って、ボランティアをすることはできないかもしれない。募金をすることなら、できるかもしれない。

 

でも、僕たちにできる一番の事は、「きょう」を生きて「あした」に希望を持つ事だと思う。

上手く言えないけど、今はこんな気分です。