Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

幸いな人

皆さんは、どんな人が幸いだと思うでしょうか。

私は高専出身で、根っからの技術好きなので、その技術を使って、世界で活躍することが「幸いだ」と考えていました。

確かに、それは幸せかもしれません。若い私たちは、成功を求めるし、成功することこそが人生のゴールだと考えます。

 

このような人たちにとって、死ぬ間際のことなど想像もつきません。明日もあさっても、その次も、10年後も生きてることが当たり前だと思うし、それが一番信じやすい未来だからです。

 

ところが、人生何十年か生きてると、時々どうもそうでないように思える時が、誰にでも訪れます。

今、そのような状況に置かれている人も、きっと居るでしょう。

 

このような人たちに、僕は、聖書が啓示する「幸いな人」の定義を伝えたい。

詩篇32篇の冒頭を見てみましょう。

「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。 主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。」
‭‭詩篇‬ ‭32:1-2‬ ‭JA1955‬‬

詩篇32篇は、ダビデが詠んだとされる詩篇です。彼は王として、絶頂期のイスラエルを統治した人物でありましたが、実は大きな罪を抱えていました。

それは、部下であるウリヤの妻、バテシェバと姦淫を犯し、しかもそれを隠すために、ウリヤを前線に出して戦死させたのです。

今、政治家の不倫問題が相次いで報道されていますが、不倫どころの話ではない、もっと大きな罪を、彼は犯したのです。

 

これが日本なら、バレなければ良いじゃないかと思う方もおられるかもしれません。

でも、彼は天地創造の神を知り、その方が正義そのものであられる事をよく知っていました。なぜなら、神はイスラエルに対して、ご自身のご性質を、あらゆる方法で伝えていたからです。

 

そんな彼の所に、ある日預言者ナタンがやってきて、彼の罪を、巧みなたとえ話を用いて言い当てました。

この事を聞いたとき、ダビデはすぐに認め、悔い改めて赦しを得ました。先に挙げた詩篇は、おそらくその時期に詠まれた物だと考えられています。

 

つまり、彼は、自分が赦された事に対して、幸いだと語っているのです。

 

では、聖書が啓示する赦される方法何でしょうか。

 

それは、端的に言えば、イエスキリストが私たちの罪のために十字架で死に、葬られ、三日目によみがえり、天に昇り、今も生きて私たちのためにとりなしの祈りをしてくださっているということを信じることです。

ほとんどの人にとって、これは信じがたい事だと思います。また、別世界の話だと思うことでしょう。

私も5年ほど前、教会に初めて行ったときはそうでした。

しかしながら、不思議な導きで信じたあと、信仰を持ったことに後悔したことは、一度もありません。

あなたも、明日、教会の門を叩いてみませんか。それはあなたにとって、幸いな事だと確信しています。