そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
ルカによる福音書 23:34a
私たちは、赦しを必要としています。それは、私たちが罪人だからです。
この週末は、自分の中に罪の性質があるということに、再度気がついた二日間でした。
私は、大切な人に対して、心ないことを言ってしまったのです。
それは事実ではありましたが、あえて口にするべき事ではなく、またその人にとってどうしようもないことでした。
私は、その人の身体的特徴だとか、障害に起因する事を指摘したりからかったりする事が嫌いです。そんな私が、自身が嫌う事をやってしまったのです。
詳細は書けませんが、つまり、そういうことがあったのです。
私たち人間は人を愛しますが、それは不完全です。不完全なので、時に人を傷つけます。
時には、自分が「良いことだ」と思ってやっていることさえも、人を傷つける原因になったりします。
また、たとえ人を傷つけなくても、人は神様を悲しませる事をたくさん行います。
それが、人間の罪なのです。
この罪は、私たちにはどうすることもできません。私たちは罪の奴隷であり、自分自身で主人を変えることができないのです。
そんな私たちを贖い、罪の奴隷から解放してくださった方が、イエスキリストなのです。主は十字架で死に、そして復活することによって、私たちを罪の奴隷から解放してくださったのです。
冒頭の祈りは、世界を変えた祈りであります。「何をしているのか分からない」という惨めな状況にいた私たちを、神は、そのひとり子を十字架につけることによって救ってくださったのです。
罪に対する解決というと、犯した罪を反省する事を思い浮かべると思います。
しかし、それを実行したイスカリオテのユダは、絶望の中で自殺しました。
反対に、イエスを知らないと否定したペテロは、再び主の贖いに立ち返り、見事に立ち直ったのです。
繰り返しますが、私たちに必要なのは罪の赦しです。罪を悔いることではありません。
今日、すでに救われた方は罪の赦しを再確認し、この恵みに堅く立って歩む決断ができますように。
また、まだイエスキリストを信じていない方は、イエスを信じ、罪の救いを得る決断ができますように。
この証が、誰かの役に立ちますように。