山上の垂訓について、気になったのでいろいろな解説を調べてみた。
この箇所は、多分神学的立場の違いによって、だいぶ解釈が異なると思う。
True Ark
山上の垂訓の講話の内容を表すのに適切なタイトルは何なのか?それは、「メシアによる律法の義の解釈」と言えるだろう。
このサイトの信仰告白のページでは
字義通りの解釈:聖書の解釈は、字義通りの解釈を一貫して採用しており、そのゴールは著者の意図を正確に読み取ることにあります。それゆえに、聖書の記録と現代の私たちとの間に、地理的・文化的・時間的隔たりがあることを考慮し、ユダヤ的視点で読み・解釈することを重要視します。
との信条を掲げており、いわゆるディスペンセーション主義のようだ。ハーベストタイム・ミニストリーズとほぼ同じ立場だと思う。
エホバの証人
次に出てくるのは、エホバの証人のページだった。
エホバの証人のページは、山上の垂訓を単なる道徳律程度に説明している*1。それにしても、エホバの証人のWebサイトのユーザビリティは非常に良い。我々もここは見習うべきだ。
God Questions
山上の垂訓を一文章で要約するとしたら、このようになるでしょう。 :偽善から解放されて、愛と恵みにあふれ、知恵と識別力に満ちた、神にささげる、神に喜ばれる生活をするにはどうするか。
True Arkよりふわっとした解釈ではあるけれども、旧約時代の律法の再解釈というよりは、新約時代を生きるクリスチャンの人生訓のような受け取り方か。
その他色々なサイト
本文批評も多くあったが、この山上の垂訓について高等批評を行っているサイトも多く見られた。
まとめ
大きく分けて3通りの解釈があった。この箇所は、本当に人によって解釈が異なるようだ。
*1:時々、サタンが率いる「邪悪な天使に苦しめられている人たち」も助けます。なんて妙な表現も出てくるが