Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

アマチュアであることの良さ

ここ最近、何にしてもプロになろうと頑張っていた気がする。

僕は仕事柄、趣味と仕事の境界線が曖昧になっている。趣味でやってたことが仕事に活かせるときもあるし、仕事でやってたことが趣味で活かせるときもある。

そういう生活をしてると、趣味でやっていることでも、プロのクオリティというか、プロのやり方でないといけないような気がしてくる。

例えばプログラミングだと、最近ではオブジェクト指向プログラミングなんてのは当たり前で、とにかく色々なデザインパターンが出てくる。

これらのデザインパターンを学べば、たしかに品質の高いプログラムは作れるとは思う。特に大人数でなにかを作る場合(いわゆるプロのプログラミング)、みんなが好き勝手な書き方をすれば、プロジェクトが破綻するのは目に見えている。

更にプログラムの例で考えると、テストを自動化するかどうかや、デプロイを自動化するかどうかなど、色々と今風のプログラミング・環境構築手法を取り入れるかどうかという話が出てくる。

もちろん、これらは非常に有用だし、だからこそ普及している。ITゼネコンみたいに人海戦術で特注システムを作るのでないなら、今風のやり方のほうが絶対良い。

けれども、もしこれが、個人が行うプロジェクトだったらどうだろう。設計開発・運用を全部個人で行うとすれば、プロのやり方はカネがかかるし、各々が専門的すぎてひとりでは手に負えない。

ひとりで行うプロジェクトの場合、過程より結果が重要視されることが多いと思う。例えばひとり情シスやひとり社内SEの場合、環境構築やプログラミング手法がどうのこうのと言うより、普段のトラブルシューティングの迅速さとか、成果物の有用さのほうが重要視されるだろう。正直、個々の成果物の品質はそれほど重視されないかもしれない。

もちろん、システムによっては動けば良いというわけではない(個人情報とかのセキュリティ重視が必要なものを扱う場合は特に)。でもまあ、そういうのを扱う部分については、市販のシステムでも導入すれば良いのだ。全部作る必要はない。

僕が思うに、プロというのは理想論を語りがちである。でも、実際は理想論なんか机上の空論で、色々な制約がある。その成約の中で何かを成し遂げるには、泥臭いことでもいいので、とにかくアマチュアとしてやってみるというのも、時にはいいのかもしれない。