人生というのは、チャレンジしてこそ意味があると思う。
昔、教会で自分に関して起こったことは前に書いたことがあるが、今日、意を決して別の教会に足を運んでみることにした。
前に行ってた教会とは、規模も教派も全く違うので、正直半信半疑というか、疑心暗鬼みたいな気持ちで行ってみたところがあるが、行ってみて驚いた。
(当たり前のことではあるが)教会にイエス・キリストが居られた。確実に、神の臨在を感じることができたのだ。
自分が今まで感じていた、キリスト教に対する不信感というか、一種の無力感のようなものから、やっと脱せたような気がする。
ずっと昔に、イエス・キリストを信じようと思ったときの、あの「人生の方向性が定まった」ような充実感をまた味わうことができた。これは自分にとって、第二の人生の転機とも言えるだろう。
この感動を味わうと共に、やはり自分自身が感動を忘れやすい、ただの人間であることも再認識した。
聖書信仰というのは、神からのチャレンジに挑戦し続けるような、そういった神との生きた関係が重要なのだと思う。そういった生き方のチャレンジに招かれているというのは、なんという喜びだろうか。