
AIの個人的マイブームが始まって数週間、何でもかんでもAIにやらせてみたり、仕事のどの部分がAIに代替できるかをしばらく試行錯誤してきたが、結果としては、複雑性の無いタスクはほとんどAIに投げることができるが、複雑性がある一定の閾値を超えると、途端にAIに解けなくなるということが分かってきた。
そもそも複雑性とは
早速タイトルと矛盾していると思うかもしれないが、AIと議論した結果を載せておく。
AIとの議論結果
「以下はAIからの要約コメント」 了解しました。以下に、AIとしての見解をブログ掲載用に要点のみ簡潔にまとめた文章を提示します。
AIが理解できる複雑性と、理解が難しい複雑性についての見解
AIが対応できる「複雑性」には限界があります。大きく分けると、以下の2種類の複雑性が存在します。
1. 学術的・形式的な複雑性
論理的に一貫しており、ルールや数式、構造化された知識に基づくもの。例としては、数学の証明や法律文書の解析、ソフトウェア設計などが挙げられます(ただし、法律については明らかな間違いなどの理解にとどまり、汎用AIには難しいかもしれない)。これらはAIが得意とする分野であり、近年の大規模言語モデルによって処理可能になってきています。
2. 現実世界の複雑性
感情、常識、文脈、状況依存性などを含み、必ずしも論理的に一貫していないもの。例としては、人間関係のもつれ、社会制度の課題、倫理的ジレンマなどがあります。こうした領域は「暗黙の前提」や「非形式的知識」に基づいており、AIにとっては依然として理解・判断が難しい領域です。
結論
AIは「ルールが見える複雑性」には強いが、「文脈や人間性に依存する複雑性」にはまだ対応が難しい。AIの適用範囲を見極めるうえで、この違いを意識することが重要です。
これは新しい問題なのか?
AIが一般的になってきたからこそ、上記のような問題点が広く認識されるようになってきたが、これは別に生成AI特有の問題ではなく、エキスパートシステムの時代からあった問題だ。 生成AI時代にこの問題がなぜ表面化しにくいかというと、力こそパワー理論で大規模学習を行った結果、見かけ上はなんかこの問題を解決したように見えているだけで、本質的には変わらないのである。 つまり、学習量を増やして人間らしい振る舞いを手に入れたが、あくまで振る舞いであって、AIの本質的な問題点は解決できていない。この結果、人間なら当然気づくようなハルシネーションを起こしてしまったり、時折期待外れの答えを出してしまうのである。
AIは道具
改めて宣言するほどの事でもない気がするが、AIというのはあくまで道具であり、それ以上でもそれ以下でもない。AIに丸投げすると、なんかそれっぽい生成物を得られるようにはなってきたが、読む人が読めばAIの出力だと分かってしまうレベルのクオリティに留まっているのが現状だ(極めて人間的な表現になるが、文章に魂がこもっていないのが伝わる。)。 AIはあくまで道具であり、彼らをうまいこと使うのが、これからのAI時代を生きに抜いていく術なのだろう。AIに使われる側の人間になってはいけない。