導入:キリストは「生まれた」のか?
コロサイ人への手紙1章15節には、キリストについて次のように記されています。
御子は、見えない神のかたちであって、 すべての造られたものに先だって生れたかたである。 (コロサイ人への手紙 1:15、口語訳聖書)
この「先だって生れた」という表現は、キリストが神によって創造された最初の存在、すなわち「被造物」であるかのような誤解を招く可能性があります。しかし、キリスト教の核心教義である三位一体論では、子なるキリストは父なる神と等しく、創造された存在ではないとされています。
本稿では、この聖句が書かれた歴史的背景と、原語であるギリシャ語の意味を深く掘り下げることで、「先だって生れた」という表現の真意を探ります。そして、この一節がキリストの神性を揺るがすものではなく、むしろその卓越性を力強く宣言していることを明らかにします。
歴史的背景:コロサイの教会とグノーシス主義の脅威
この手紙が書かれた当時、コロサイの教会は「グノーシス主義」と呼ばれる異端思想の影響下にありました。この思想を理解することが、聖句の意図を正しく読み解く鍵となります。
グノーシス主義とは
グノーシス主義は、1〜2世紀の地中海世界で広まった思想で、次のような特徴を持ちます。
- 二元論: 霊的な善の世界と、物質的な悪の世界を明確に区別する。
- 特別な知識(グノーシス)による救済: 救いは信仰や行いではなく、秘密の知識を得ることで達成されると考える。
- 複雑な宇宙論: 至高神と物質世界の間に、多数の霊的存在(アイオーン)を想定する。
彼らは物質を悪と見なしたため、創造主である旧約聖書の神を、至高神より劣った不完全な存在と見なす傾向がありました。
グノーシス主義が提示したキリスト観
グノーシス主義は、正統的なキリスト観を大きく歪めるものでした。
- キリストの神性の否定: イエスを、至高神と人間を繋ぐ多数の霊的仲介者の一人に過ぎないと位置づけ、その絶対的な神性を否定しました。
- 受肉の否定(仮現説): 物質である肉体を悪と見なすため、神聖なキリストが実際に肉体を持つことはありえないと考え、その姿は幻影に過ぎないと主張しました。
このような思想は、キリストを被造物の一つに貶め、その救い主としての完全性を根本から揺るがすものでした。
コロサイ人への手紙の執筆目的
使徒パウロは、こうしたグノーシス主義の誤った教えから信徒を守り、キリストの真の姿を伝えるためにこの手紙を書きました。その目的は以下の通りです。
- キリストの絶対的卓越性の宣言: キリストが単なる霊的仲介者ではなく、万物の創造主であり、教会のかしら(頭)であることを明確にする。
- キリストによる救いの完全性の強調: 救いのために、キリスト以外に特別な知識や他の霊的な力は一切不要であることを教える。
- 健全な信仰に基づく実践的な生活への勧め: 誤った教えに惑わされず、キリストにしっかりと根ざした生活を送るよう促す。
この文脈において、コロサイ1:15は、グノーシス主義への強力な反論として書かれたのです。
聖句の分析:コロサイ人への手紙1章15節
口語訳の「先だって生れた」という表現がなぜ誤解を招きやすいのか、多角的に分析します。
各国語翻訳の比較
この箇所の解釈の難しさは、様々な翻訳に表れています。以下は代表的な英語訳の比較です。
| 翻訳 | バージョン |
|---|---|
| firstborn over all creation | New International Version (NIV) |
| supreme over all creation | New Living Translation (NLT) |
| firstborn of all creation | English Standard Version (ESV) |
| firstborn of every creature | King James Bible (KJV) |
| first-born Son, superior to all creation | Contemporary English Version (CEV) |
| Primal Source of all creation | Worrell New Testament |
多くの翻訳が "firstborn" という語を用いていますが、NLT訳の "supreme"(至高の)やCEV訳の "superior to"(〜より優れた)のように、単なる出生順ではなく、地位や権威の優越性を示す訳も存在します。これは "firstborn" が持つ意味の多義性を示唆しています。
ギリシャ語原典からの考察:「πρωτότοκος (prōtotokos)」
原語であるギリシャ語「πρωτότοκος (prōtotokos)」を理解することが、最も重要です。この単語は「第一の、最初の」を意味する protos と、「生む」を意味する tikto の合成語です。
文字通りには「最初に生まれた者」を意味しますが、聖書の文脈、特にユダヤ文化において、この言葉は単なる出生順以上の意味を持ちました。「長子」は、相続における特権的な地位、すなわち一族の支配権や権威を象徴する言葉でした。
つまり、「πρωτότοκος」は「時間的な最初」だけでなく「地位における第一、すべてのものに対する主権者」という意味合いで用いられるのです。
パウロがこの言葉を選んだのは、キリストが被造物の中で最初に生まれた存在だからではなく、すべての被造物に対して主権を持つ、卓越した支配者であることを宣言するためでした。事実、続く16節では「万物は、御子にあって造られたからである」と述べられており、キリストが被造物ではなく創造主であることが明確にされています。
結論
コロサイ人への手紙1章15節の「先だって生れたかた」という口語訳での表現は、字義通りに受け取るとキリストを被造物と誤解させる危険性をはらんでいます。
しかし、この手紙がグノーシス主義の「キリストを被造物の一つと見なす思想」への反論として書かれたという歴史的背景と、ギリシャ語「πρωτότοκος」が持つ「長子としての主権」という意味を考慮すれば、その真意は明らかです。
この聖句は、キリストが時間的に最初に「生まれた」ことを述べているのではありません。むしろ、すべての被造物を超越した主権者であり、万物に先立って存在する神そのものであることを力強く宣言しているのです。したがって、この一節は三位一体の教えと矛盾するどころか、子なるキリストの神性と絶対的卓越性を証しする、極めて重要な聖句であると結論付けられます。