Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

教会と教会員の価値観

教会員制度への疑問と教会移籍の背景

最近、昔から通っていた福音派の教会ではなく、バプテスト系の教会に通っている。こうなった理由は色々あるけれども、自分の中で教会員というものの価値を限りなく損ねてしまうには十分な経験だった。

そもそも教会員というものに馴染みのない方がほとんどだと思うが、一般的に、教会員というのは、特定の教会のメンバーという意味合いがある。ふつう、イエス・キリストを信じて洗礼を受けると、ほぼ自動的にその教会の教会員となり、またほぼ自動的に月定献金なるものが始まるのである。

月定献金:建前と実態の乖離

この月定献金、名前からして会費のようなものであり、実際この献金で教会は運用されているのだが、福音派の教会は頑なにこれを否定する。献金はあくまで神への感謝の表し方であり、決して牧師の謝儀とか教会の運営のために集めているのではないと言い張る。

聖書にみる十分の一献金の本来の目的

ここで聖書を見てみよう。

'主はアロンに言われた。「あなたはイスラエルの人々の土地のうちに嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない。わたしが、イスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である。 見よ、わたしは、イスラエルでささげられるすべての十分の一をレビの子らの嗣業として与える。これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である。 '

民数記 18:20-21 https://www.bible.com/ja/bible/1819/NUM.18.20-21

つまり、レビ人は嗣業の土地を持つ代わりに、神を受けるべき割当とし、捧げ物の10分の1をレビ人らに与えることが神によって命令されているということだ。「彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬」と明示している点に着目したい。

旧約聖書では一貫して、10分の1献金はレビ人の為のものと明記している。それは彼らが生活するための糧であり、神の働きに専念するための保険なのである。

現代教会における献金の使途への疑問

現代のキリスト教会の一部は、この明らか事実を、なんだかよくわからないが神のためと言って有耶無耶にしている。有耶無耶にしている割には、月定献金として集められた献金を、まるでフリーローンのように自由な用途に用いるのである。

まあ批判的な話はこれくらいにしておくが、つまり月定献金を主な収入源としているにもかかわらず、その事実を頑なに認めようとしないのである。これが二律背反で無くて何なのだろうか。宗教団体は、そんな道理が通らないような集団でいいはずがない。

教会からの疎外と、新たな信仰の道

さて、こんな思いを持っていると、当然キリスト教会からよく思われるはずがなく、めでたく爪弾きにされたのが今の自分である。

話が前後しすぎて申し訳ないが、今我が家では、新しく通い始めたバプテスト系の教会に転会するかどうかという決断をしようとしている。個人的には、教会籍という制度自体にあまり良い思いを抱いていないのだが、確かに現代で信仰生活を送ろうと思うと、教会籍というのはある程度必要になってくることは否めない。

次の土曜日に、転会についてバプテストの教会の牧師と話すのだが、果たして上記のような話をして、それでも快くというか、受け入れてもらえるのかは謎である。

どうなるか様子を見てみたい。