Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

試練について

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この文章は、以前私が、私の愛する人に送ったメールである。送ったままにしておくのはもったいないので、少し編集して再掲載することにした。
もう少し付け加えておくと、これは私が就職してから間もない頃に書いたメールである。なかなか就職ができなかったので、その経験を基に書いている。
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今日は給料日でした。
僕は給料を頂く度に、畏れにも似た感謝の気持ちを持ちます。
 
学校卒業後、無力感に打ちひしがれ、部屋にこもっていた時が嘘のようです。
今でも、仕事をしていると、時々自分がそこにいることを不思議に思います。
 
仕事をしていなかった時は、本当に毎日苦痛でした。誰も責めないのに、自分で自分を責めてしまうのですね。
 
あのときの決断が悪かったとか、そんなことを思ったものです。
 
しかし、不思議なもので、辛いときにこそ聖書を必死に読んだものでした。そんなとき、次の御言葉を見つけました。
 
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13
 
ここで言う「のがれる道」というのは、単なる助け船では無いようです。
 
そうではなく、「のがれるための信仰」を与えて下さるのですね。つまり、「この試練には意味がある」という信仰を与えて下さるのです。
 
とは言うものの、もし今あなたがそう思えなくても、それはそれで良いと思います。
 
試練は誰もいやですからね。聖書に
 
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」ヘブル人への手紙12:11
 
とあります。
 
信仰という物は、実に不思議です。心では「辛い。もういやだ」と思っていても、信仰の面では「この試練には必ず意味がある」と確信できるのです。
 
誰でも試練はいやですが、クリスチャンは後の祝福を信じて耐えることができるのですね。
 
ある人の試練は、生涯続くかもしれません。でも、祝福を信じて耐えることができるのです。すばらしいですね。
 
そのような人は、必ず天国で祝福されるでしょう。
 
あなたは、今試練の中におられますか?
もしおられるなら、少しでもこのメッセージが届けば良いなと思います。
 
神様の恵みと祝福が、あなたの上にありますように。