Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

模様替え

なんかしょっちゅう模様替えをしている気がするが、まあ定期的に模様替えをしないと気がすまない性分なのだと思う。

今回の模様替えで意識をした内容は、作業環境の改善だ。

今の自分の部屋は、ここ数年の設備投資の連続で工作機械で溢れていて、正直配置がいまいち良くない部分が多いように感じていた。いつか最適化しようと思いつつ、なかなか思い切って変更する気が起きなかったのだが、今週末にやっと思い切って入れ替えることができた。

今の自室には、大きく分けて3つのエリアがある

この中でも、今回構成を大きく変えたのはCNCエリアで、今まで押し入れの下段と上段に置いていたCNCを、両方とも上段に置いた。

今までは4040 Renoを押入れの下段に入れていたのだが、やはりかがんで作業するというのは結構体に負担がかかり、結果として使うのが億劫になってしまうという問題があったが、これで解決できそうだ。

それと同じような理由で、デスクトップパソコンについても配置を見直し、ウルトラワイドモニターをちゃんと使えるような配置に変更してみた。今もウルトラワイドモニターで記事を書いているが、やはり画面が広いというのはそれだけで価値がある。

会社で仕事をしていても思うが、やはり最大限のパフォーマンスで結果を出そうと思うと、まずそれに適した環境というのを追求する必要がある。今の家に引っ越してきてもう何年かたつが、10年居る会社に比べて作業環境の快適さが微妙だと思っていた部分が多々あったので、今回なんとか改善できて良かったと思っている。

あとはこの環境で何をやっていくかということなのだが、まあそれはおいおい考えていこうと思う。

あの日見たWebサイトの名前を僕たちはまだ知らない。

その昔、自分の母校である舞鶴高専の先輩が、スーパーファミコンの光線銃を改造してサバゲーをするという個人Webサイトの記事があった。確か、光線銃から出る赤外線を受光するシステムを構築して、サバゲーをやったという記事の内容だった気がする。

その内容が高専生らしくて割と好きだったのだが、昨今の無料Webサイト作成サービスの終了によって、ついに探し出すことができなくなってしまった。

たまに思い出して探してみるのだが、やっぱりそれらしい記事が見つからなくて、結局諦めてしまう。流石にもう、ネットの海の藻屑となってしまったのかもしれない。

僕らみたいな素人が書き連ねる文章というのは、自分が生きている間でさえ忘れ去られてしまう運命にある。とはいっても、今回の光線銃の記録みたいに誰かの記憶に残って、時々懐かしんでもらえるかもしれない。

自分が思っていることや考えていることというのは、基本的に表に出さなければ誰も分からないし、誰にも伝わらない。一回表明したくらいでは誰にも伝わらないかもしれないけど、伝え続けていれば、あるいは誰かには伝わるかもしれない。

伝わったとしても、それを受け入れるかどうかという問題がある。人の考えを変えるというのは至難の業であり、それに労力を費やすほど人生は長くない。

こうやってネットにツラツラと自分の思いを書く人間の端くれとしては、光線銃改造日記みたいに、たとえこのWebサイトが消えても誰かの思い出に残ることを少しでも書きたいなとは思う・・・。

FreeCAD 1.0が出た件

つい最近、FreeCAD 1.0がリリースされていたことに気づいた。

早速インストールしてみたところ、これまでの0.2x系とはかなり違っていて、確かにメジャーバージョンとしてふさわしい出来だと思う。

特に気に入ったのは、スケッチワークベンチでオフセット機能が使えるようになったことだ。以前は、Draftワークベンチに移動してスケッチをDraftに変換し、2Dオフセットを適用してから、さらに作ったオフセットをスケッチに戻す、という面倒な手順が必要だった。これが1.0ではスケッチ内で直接オフセットが使えるようになったので、作業効率が大幅に向上した。

まだ操作が煩雑なところはあるものの、以前よりはかなり改善されている印象だ。これは良い。

AIは論理的思考ができないとまともに使えない説

最近ずっとAIの活用について試行錯誤しているのだが、最近わかってきたこととして、プロンプトに論理的な説明や指示を入力しないと、AIは思い通りに動かないという点だ。

人間相手の場合、なんか雰囲気というか、暗黙の了解みたいなものを共有しているものであって、たとえ相手が発達障害を持っていたとしても、その人なりの人生経験から、暗黙の了解というのを多少なりとも理解しているものである。

しかしながら、AIというのはそれがまったくない。奴らに前提条件を論理的に説明しない場合、データの海から確率論的に引っ張ってきた物を、さも正しいかのように出すだけなのだ。そこに人間の精神的な自己規制というのは無いので、トンチンカンなことを言うのだろう。

プロンプトに入力する文章というのは、とにかく長くて論理的である必要がある。そうなれば、論理的試行ができなかったり、論理的な文章が書けない人間はそもそも使うことができないか、ポテンシャルを引き出すことができない。

こいつはなかなか難儀な技術だなと思う。

HP Spectre x360 14-ea0000をいじる

結構昔に奮発して買ったこのマシンだが、正直思ったよりパフォーマンスが出なくてなんだかなぁと思っていた。

再インストールしたり設定をいじったり色々としてみたが、やっぱりどうも直らない。しばらく諦めて放置していたのだが、流石にお高い割にこのまま放置しているのももったいないと感じ、もう一度理由を考えてみることにした。

なんだかなぁと思う理由の一つとして、スペックの割にストレージの書き込みがなんか遅い気がするという点だ。

この遅さって、例えばCrystal Disk Markとかで出てくる遅さじゃなくて、なんかよくわからんけどもっさりするという、なんとも言えない遅さなんだよなぁ。

そういうわけで、おそらく問題はストレージにあるだろうと思い、もう一度スペックを眺めていると、このPCはOptane SSDを使用しているので、これが足を引っ張っているのかなと思った。

Optane SSDってのは正直意味がわからん製品で、おそらく大容量のSSDと小容量のちょっと速いSSDRAIDにしているのだが、これって意味あるのだろうか。

というわけで、せっかくなのでOptaneをOFFにした状態のCドライブのベンチマークを取ってみた。

NVMe SSDにしてはちょっと遅めな気もするが、まあ問題がない程度だと思う。

それでこれがOptaneメモリだと思われるディスクの速度

うーんOptaneメモリのWrite遅くないかと。これ、確かにキャッシュならReadだけ速ければいいんだが、Write性能はかえってキャッシュに書き込む分遅くなるのではと思う(実際遅かったし)。

この製品、ベンチマークだけ見栄えを良くする類の製品なのではと勘ぐってしまうほど、なんというかがっかり性能のストレージだなと思う。

まあ、とりあえずスペックと同等の性能に回復したので良しとしよう。

このままでいいのか?という自分に対する問い

今の自分には、昔持っていなかったものがたくさんあります。

しかしながら、神様から頂いた色々なものがあるにも関わらず、メンタリティは昔と変わらず、まるで何も持っていないかのように振る舞ってしまうことがあります。

そんな時、以下の聖書の一節を思い出すのです。

持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
(マタイによる福音書 13:12 口語訳)

「持っている人」と「持っていない人」

この箇所は、直接的には、イエスがパリサイ人や律法学者にたとえを用いて話す理由について
弟子たちが質問したことへの答えとして述べられています。

ここでの「持っていない人」とは、パリサイ人や律法学者、すなわちイエスをキリストと信じない人々を指しています。

彼らは、元々持っていた祝福の約束も失ってしまうという警告です。
(※注:「イスラエル」の意味については、パウロ書簡でしばしば議論されています。ここでは「イスラエルが教会に取って代わった」といった意味で述べているわけではありません。)

「持っている」ということの意味

「持っている」という事実は、単に物理的に何かを所有しているということだけでなく
それを認識し、いつでも使える状態にしておくことが重要です。

倉庫の奥底にしまっていて、取り出すのに一日かかるようなものは、実質的には「持っている」とは言えません。

タラントのたとえ話に学ぶ

この話に似た例え話が、マタイによる福音書 25章14節~30節にもあります。以下はその要約です。

主人が旅に出る前、僕たち(召使)にそれぞれの能力に応じて財産を預けました。

  • 5タラント預かった者は商売をしてさらに5タラントを稼ぎました。
  • 2タラント預かった者も同様に、さらに2タラントを稼ぎました。
  • 1タラント預かった者はそれを隠し、何も増やしませんでした。

主人が帰還し清算を行うと、5タラントと2タラントを増やした僕たちは「忠実な良い僕だ」と褒められ、多くを任されました。
一方、1タラントを隠した僕は「怠け者」と叱られ、持っていたタラントも取り上げられてしまいました。

この話の最後にもこうあります。

'だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 '

マタイによる福音書 25:29
https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.25.29

今の時代における「持っている人」とは

「持っている人は更に与えられて豊かになる」という原則は、イエスの昇天後から終末までの今の時代においても適用されます。
エスをキリストと信じることで「持っている人」となり、その祝福は取り去られることがありません。

しかし、神様の前に立つとき、自分が「持っている」と思っていたものが、実際の人生の中では「持っていないかのように」振る舞っていたことに気づくのは、喜ばしいことではありません。

自問自答を続けることの大切さ

「このままでいいのか?」という自問自答を日々続けることで、自分が神様から頂いたものを再確認し、それをどう活用していくべきか考える機会になります。

与えられたものをしまっておいたり、人や神様の役に立てず自己満足に用いるというのは、少なくとも私にとってはもったいない使い方だと思っています。このことについて、常に「このままでいいのか」ということを自問自答しつつ、歩みたいものです。

ChatGPTでデータを忘れる問題に対応する

ChatGPTはかなり便利なのだが、基本的にデータを保存することができない。

例えばToDoリストを登録するためのマイGPTを作ったとして、ToDoリストの内容をスレッドをまたいで保持することができない。

これについて、まあ色々と対処法はあるのだろうが、今のところはXMLファイルを作らせて、それを都度都度ChatGPTに食わせるのが最善策かなと思ってる。

これをAPIを使用してアプリ化してもいいのだが、今のところはまあひとまずWebブラウザでやるかなと思ってる。Web側のプロンプトでやってれば、Plusに登録しているので実質無制限だし。

ChatGPT、うまく使うにはやはりプログラミングの知識は必須だなと思った。