今日の箇所は、愚かな金持ちのたとえです。
ある年、この金持ちの畑が豊作でした。彼は、収穫物を収納する場所が無いことに気がつき、あれこれ思いをめぐらします。
その結果、彼は今ある倉を取り壊して、もっと大きな倉を作ることに決めたのです。
そして、彼は自分の心に「たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」と言ったのです。
この姿を見て、神様は冒頭で取り上げたみ言葉を語り、その夜彼のたましいを取り上げたのです。
この金持ちは、二つの勘違いをしていました。
一つは、豊作で得た食物が、全て自分の物だという勘違いです。
倉に蓄えるほど余りがあるなら、貧しい人に分け与えることもできたはずです。
二つ目は、命でさえも自分の物だという勘違いです。彼は命がある前提であれこれ考えましたが、その大前提が自分の物ではなかったのです。
私たちが所有している物は、全て神様から委ねられた物であります。
これを地上の富のために用いるか、神様の栄光のために用いるかは、私たちに任せられています。
今日、私たちは「神様の栄光のために用いる」という選択をさせていただきましょう。