Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

愚かな金持ちのたとえ

すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。 (‭ルカによる福音書‬ ‭12‬:‭20‬ JA1955)

今日の箇所は、愚かな金持ちのたとえです。

ある年、この金持ちの畑が豊作でした。彼は、収穫物を収納する場所が無いことに気がつき、あれこれ思いをめぐらします。

その結果、彼は今ある倉を取り壊して、もっと大きな倉を作ることに決めたのです。

そして、彼は自分の心に「たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」と言ったのです。

この姿を見て、神様は冒頭で取り上げたみ言葉を語り、その夜彼のたましいを取り上げたのです。

この金持ちは、二つの勘違いをしていました。

一つは、豊作で得た食物が、全て自分の物だという勘違いです。

倉に蓄えるほど余りがあるなら、貧しい人に分け与えることもできたはずです。

二つ目は、命でさえも自分の物だという勘違いです。彼は命がある前提であれこれ考えましたが、その大前提が自分の物ではなかったのです。

私たちが所有している物は、全て神様から委ねられた物であります。

これを地上の富のために用いるか、神様の栄光のために用いるかは、私たちに任せられています。

今日、私たちは「神様の栄光のために用いる」という選択をさせていただきましょう。