今日の箇所は、重い皮膚病の人の癒しです。
イスラエルの人々にとって、この重い皮膚病にかかるということは、共同体からの追放を意味します。
モーセの律法において、重い皮膚病は儀式的な「けがれ」を持った状態であり、あらゆる面での制約がありました。
また、この儀式的なけがれがある人には、触れてもいけないことになっていました。もし触れると、その人も儀式的にけがれてしまうのです。
つまり、この重い皮膚病を患った人は、共同体から切り離され孤独だったのです。
そんな状態の彼が、イエス様を見てすぐに「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」と言ったのですから、この願いには非常な切実さを感じます。
イエス様はそれを知って、今日のみ言葉を語られた後、わざわざ手を触れて癒してくださったのです。ここに、主の愛があります。
また、その後でイエス様が、誰にも話さないようにと仰ったのも注目すべき点です。
イエス様は、私達の問題の根源である、罪の性質を解決してくださるお方です。
病の癒しを強調しすぎると、この点を忘れてしまいますから、注意が必要です。
今日も、私達のうちに主の最善がなされるように、自分自身を明け渡す生活をさせていただきましょう。