Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

俺の料理

最近、正月に買ったPS Vitaでプレイステーションアーカイブスから、昔懐かしのゲームをやってます。

 

この頃ハマってるのは、「俺の料理」というゲームです。実はこのゲーム、昔に実機で体験版をやったことがあり(雑誌の付録だったと思います)、その時の記憶が残っていて、やりたいなと思ったのです。

 

このゲームは、サルゲッチュが出た頃によくあった、アナログスティックをグリグリして遊ぶアクションゲーです。当時はこのような操作性が新しく、魅力的だったことを覚えています。

 

ゲーム内容自体は、いろいろなアクションで、ただひたすら料理を作るという内容です。

 

こう書くと退屈に感じられますが、実際やってみると、いろいろなギミックがあって楽しいのです。ゲーム性が単調でも、BGMや操作性、小道具にこだわればここまで楽しくなるのかと、驚きを感じるほどです。

 

あとこのゲーム、とりあえず忙しいのです。作業の並列化はデフォルトだし、順序をよく考えないと、すぐゲームオーバーになります。

 

これじゃあまるで仕事ですね...仕事でも、納期に追われています。

 

それにしても、このゲームが発売されたのが、1999年ということに驚きです。今から約18年も前のゲームとは思えません。

 

ゲーム制作というのは、努力とアイデア次第で、プラットフォームのスペックに左右されない面白さを提供できる分野です。

 

だから、僕は苦手なのですが...

プレイ専門です(笑)

 

これからも、生活の合間に、少しずつやっていきたいなと思う今日この頃です。なかなか忙しくて、娯楽に回す時間がないのが悩みどころですが。

 

VitaやPS3, PS4を持っておられるなら、気晴らしにはちょうどいいゲームかもしれません。

 

http://www.jp.playstation.com/software/title/jp9000npji00031_000000000000000001.html

高専カンファレンス in 舞鶴2に行ってきた話

来たる7月1日、舞鶴工業高等専門学校で開かれた、高専カンファレンス in 舞鶴2に参加した。
一人で行くのもなんだか寂しいので、彼女もついでに同伴することに。

その日は思いっきり休日出勤を頼まれたものの、なんとか回避し、無事出席できたので感謝だった。

もう卒業して3年ほどになるので、久しぶりに学内に入れるのが楽しみだった。
当時はあいにくの雨だったけれど、なんとか時間内に到着。

到着して第一にしたことは、持参したパソコンからプロジェクターへの投影テスト。
会場はVGAしかなかったので、愛用のX205TAではそのまま接続できず、仕方がないのでよく使ってるI/O-DATAのUSB-RGB2経由で接続することに。

しかしこれがハマった。どうやっても画面の複製ができず(多分プロジェクターの解像度が、USB-RGB2の最大解像度より大きかったのだと思う)、なかなかスライドショーを表示することができない。

素直に発表者ツールを使えばよかったものの、パニックになってあたふたしてしまい、時間だけが過ぎて行く。

そうこうしているうちにオープニングが始まって、基調講演が始まってしまった!どうしよう。

結局あれこれいじっているうちに、なんとか画面2のみに出力するように設定できて、とりあえずスライドが映るようになった。よかった。

それで肝心のLT発表だが、残念ながら省き過ぎて、時間が余ってしまった。てっきり会場に学会タイマー(古いか...)みたいなタイマーが設置してあって、残り時間が見えるのかなと思ってた。まあ私の準備不足に尽きるのだが。

一応言いたいことは言ったつもりなので、良しとしよう。文字だらけのスライドだったし、恥を長いこと晒すのも避けたい...
(と言いながら、後日録画が公開されるんだよね)

そんなわけで自分のLTはなんとか終了したわけです。当初は一般発表で登録していたのだけれど、LTに変わって本当によかったなと。一般発表だったら爆死するところだった。

ながされて藍蘭島」という、微妙に古いネタにもかかわらずウケたのは、高専生だからだと思う。高専生やOBが古今のアニメに精通してると信じてよかった。

そういうわけで、非常に雑多な内容だけれども、以上が当日の出来事だ。

他の発表も素晴らしかった。自宅ラックを祖母の家に置いてる人とか(しかもXserveを運用してるとか。どんだけマニアックなんだ)、全国の郵便局周ってスタンプ収集してる人とか、コイン作った人とか...

発表を聞いてて感じたことは、発表者それぞれが自分の得意分野であったり、興味のあることを持っているということ。これって高専では当たり前なんだけど、一般社会に出た途端に少数派になってしまう。

一般社会で少数派が生き残って行くためには、それぞれの個体に生存戦略が必要だと思う。高専って、それを探して磨き上げるための場所なのかなと、皆さんの発表を聞いていて思った。

高専の5年間を生き残るというのは、社会人になって数年間を乗り切るのと同等か、それ以上のスキルが必要なことだと思う。だから、高専生は自信を持って就活して、自信を持って社会に出て行ってほしい。

もしあなたが高専生で、今就活がうまく行っていないのだったら、それはあなたのスキル不足とか面接練習不足というより、単に相性が悪いだけだと思う。あるいは自分の特徴を押し殺して、社会に適応する道を選ぼうとしているか。

高専生なんてはみ出し者の集まりなのだから、最後まではみ出せばいいじゃないか。
うまく言えないけど、今回のカンファレンスでは、このことを再度確信した。

まとまってない文章だけど、とにかくカンファレンス楽しかった。
実行委員の方々、お疲れ様でした。

やっぱり高専は面白い。そう思えた1日でした。

あんまり出来が良くないけど、発表スライド置いときます

追伸
今回、会場に入った瞬間「あ、この人ら高専生だ」と思えるような、あの懐かしい雰囲気を味わった。
どうやら、それは全く高専に関係なかった彼女も感じたようで、高専生の雰囲気は社会に出ても消せないんだなと思った。

高専生はよく「彼女がいない」ことをネタにする(僕もネタにしてた)けど、その原因って、この独特の雰囲気なのかなと思った。
そりゃあ、そこらへんの女子高生とは仲良くなれそうにない方々だよなと...

女子高専生はあまりにも母数が少ないので、工業高校出身の女性と関わってみるのもいいかもしれないなと思った。
実際に彼女は工業高校卒業だ。

まあ、お節介でどうでも良い話だけど...

iMac mid2010で、Win10とSierra をデュアルブート

備忘録のためのメモ。

 

iMac mid2010は、公式ではWindows10 をインストールできないことになってる。

 

ただどうも悔しいので、頑張ってインストールすることにしてみた。軽い気持ちで始めたけど、正直辛かった...

 

今回の方針としては、BootCampを使わずに、UEFIブート構成でインストールする。BootCampではインストールできないことになっているので、使うとかえって難しくなる(というか無理)。

 

ドライバについても、ほとんどWindows Update で入ってきたので事足るので、特に用意する必要はないと思う。

 

というか、Windows入れた後の事は忘れた。試行錯誤して、どうにか使えるようにしてください。

 

インストール手順

はじめに断っておきますが、これからMBRぶっ飛ばしたりするので、データのバックアップはしっかりとっておいてください。

 

あと、参照先のコマンドをコピペしない方がいいです。間違えてMBRぶっ飛ばしても、僕は知りません。

 

  1. Sierraのインストールディスクを作っておく
  2. インストールディスクかインターネットリカバリーで起動して、コンソールに入る
  3. y2blog » Mac EFI環境下でのWindowsのインストール を参考に、MBRをゼロクリア(この時点でパーティションテーブルが消えるので、当然中身も見えなくなる)
  4. Sierra のインストーラを起動して、パーティションを切る(Journaling HFS+で、Windows用のパーティションも一応切っておくと良いかも)
  5. Sierra をインストー
  6. WindowsEFIモードでインストー
  7. rEFIndをインストールして、デュアルブート終わり

 

感想

素人が手を出すものじゃ無いな。

MacでSubversion環境を整える(序論)

はじめに

普段パソコンを使う人なら、ファイルのバージョン管理をしたことがあるはずだ。

バージョン管理と書くと難しそうに見えるが、要するに

 企画書_20170502.doc
 企画書_20170503.doc
 企画書_20170504.doc ...

こんな感じで、作業に進捗があった毎にファイルを新しくするのも、言ってみればバージョン管理なのだ。

さて、この方法を採るとすると、どのような問題が生じるだろう。

まずはじめに挙げられるのが、煩わしさだ。作業が進む毎に同じようなファイルが増えて、煩わしくて仕方がない。
そのうちめんどくさくなって、こんな状態になるかもしれない

 企画書_最新.doc
 企画書_最新(2).doc
 企画書_最新版修正.doc ...

こうなってしまうと、もはやどれが最新版なのかさえわからない。

次に挙げられるのは、複数人での編集の困難さだろう。
例えば、A,B,Cの3人で共通のファイルを編集することを考えよう。

命名規則

     [ファイル名]_[タイムスタンプ]_[編集者(編集毎に追記)].doc

とし、タイムスタンプが最新のファイルを最新版だとすると

    企画書_201705122130_A.doc
    企画書_201705122130_AB.doc
    企画書_201705122130_ABA.doc
    企画書_201705122130_ABAC.doc

となり。とても管理しきれなくなることがお分かりいただけるだろう。

最後に挙げる問題点として、差分の比較が煩雑な点が挙げられる。
これは最初の問題点と本質的には同じであるが、変更履歴がわかりにくいため、直前のバージョンとの比較を行うことに非常な労力を要する。

このような状態を回避するためのシステムが、「バージョン管理システム」なのだ。

バージョン管理システムの種類

近年よく使われているものは

が有名だろう。

両者の違いについては

tracpath.com

などが詳しいので、詳細について気になる方は参照されたい。

端的に説明すると、リンク先にも書いてあるように

と説明できるだろう。

Subversionは集中型なので、「サーバーにあるデータが最新版。ローカルはあくまで作業コピー」という、単純明快な運用ができる。

それに対して、Gitはサーバーにあるリポジトリをローカルにダウンロードして、作業の反映はローカルリポジトリに反映。その後開発者が時期を見て、サーバーにpushするという方法を採る。

つまり、Subversionはコミットがすぐ共通のリポジトリに反映されるのに対して、Gitはpushするまではサーバーに反映されないのだ。

したがって、Gitならたとえ動かないコードでも「とりあえずローカルリポジトリにコミットする」という運用ができるが、Subversionでは、せめて「とりあえず動く」コードをコミットしないと、他の人が迷惑してしまう。

このように、両者には一長一短があるので、プロジェクトの規模や管理方法に応じて、適切な方を使えばよいだろう。

Subversionを使う理由

では今回、なぜSubversionを使うかというと、お一人様バージョン管理には最適だと考えるからだ。

筆者の職業はプログラマではなく、プリント基板の検査装置 (Teradyne Test Station) の維持管理・運用である。Test Staion*1については、以下を参照されたい。

www.teradyne.com


Subversionを使う主な理由は、業務で検査プログラムのバージョン管理を行うためである。

同じ部署で技術者は私一人なので、必然的に「お一人様バージョン管理システム」を運用することになる。
そのような運用を想定した場合、Subversionのような中央集権型のシステムはわかりやすく、管理がし易い。

なお、表題に「Macで」と書いているが、これは筆者の趣味であり、業務とは直接関係ない(Teradyne TestStationの制御コンピュータは、Windowsである)。

ただし、マランツの画像検査装置等、一部Macを制御コンピュータとして動作する電子基板検査装置もあるので、そういった場合には役に立つかもしれない。

とにかく、この記事はプログラマではないけれども、検査プログラムのデバッグやバージョン管理をしなければならない技術者に向けた記事である。

そのため、Apacheを設定して、WebDAVと連携させて..なんて面倒なことはせず、とりあえず動いて、バージョン管理ができるようになることを目標とする。

したがって、この設定のまま外部に公開するとか、多人数でリポジトリを共有するとか、そういった運用は避けたほうが良いと思う。

以上を踏まえて、次回からは、実際の設定に進んでいくとしよう。

*1:このTestStationという装置、驚くほど高価であるが、驚くほど多彩な検査が可能である。 日置や新電子等が販売しているインサーキットテスタとは、比べ物にならない(もちろん価格も)。

日々何かを作り続けるということ

最近、料理に目覚めてきている。

 

料理を作っていて思ったことは、何かを作るということの楽しさだ。

 

思えば、学生時代は色々なものを作っていた。最終的に役に立つかどうかは度外視しても、とにかく作っていた。

 

それがいつからか、作らなくなってしまった。

どうしてだろう。

 

多分、諦めてしまっていたんだ。

自分の作るものなんて、なんの価値もないと。

 

確かに、1回目の試作機には、価値がないかもしれない。でも、その試作を何度もやれば、価値あるものができるかもしれない。

 

自分の職場での立ち位置もあるかもしれない。

今は設備管理・維持と運用に携わっているので、あまりものを作るという仕事ではない。

 

でも、ちょっとしたツールを作ることはできるし、そうした方が業務も捗るだろう。

 

明日から、何かを作ることを心がけて、仕事に励みたい。

jw-k42f

f:id:kamotti92:20170504091705j:image

ハイアールのお一人様用洗濯機。

この人の特徴は、洗濯物を入れすぎるとすすぎっぱなしになってしまって、そのうちエラーで止まってしまう。

故障なのか仕様なのかわからないけど、しばらくはこのまま使うつもり。

 

結婚したら、もう少し大きい洗濯機にかえないとなあ。

 

それまでは、小分けにして洗おう。

ねぇ、秒速5センチなんだって

桜の季節だ。

桜というと、昔の話としては、舞鶴医療センター前の桜並木を思い出す。
最近では、教会近くの公園の桜を思い出す。

それと同時に、新海誠の「秒速5センチメートル」も思い出す。

そういうわけで、この投稿は、秒速5センチメートルを見ながら書いている。

このアニメ、何度見ただろうか。
それでも、見るたびに印象が変わるから不思議だ。

昔に見た時は、ただ貴樹が羨ましくもあり、そして意気地なしだとも思った。

彼は中学生時代の恋愛を引きずって、高校時代に想いを寄せてくれた人も、社会人になってからお付き合いした人も、傷つけてしまった。
僕はそんな彼が許せなかった。

彼はとんだ意気地なしだと。ひどいやつだと思った。


でも、今になって見直してみると、僕は貴樹を責めることができない。
終わり方がまずかったんだ。

彼は、明里に渡すはずだった手紙を渡し損ねた上に、明里に「貴樹くんは、きっとこの先は大丈夫だと思う」なんて別れ際に言われたものだから、引きずるしか無い。

貴樹にとっては、明里が居なければ「大丈夫」ではないのだ。転校が続いた貴樹にとっては、明里という存在が支えだったのに、その彼女に「きっと大丈夫だと思う」なんて言われたら、どうしようもない。

明里は前を向いて、もういっしょに人生を歩むことのない、貴樹との関係を過去のものにしようとした。そして不器用なりにそのことを伝えようとしたけれども、貴樹は気が付かなかったか、あるいは受け容れられなかった。

ここに、この物語の核心があるのだと思う。

区切りをつけれた明里は、新しい地で新しい人生を歩み出す。貴樹は薄々そのことに気が付きながらも、過去を過去とすることができない。
彼にとっては、もう明里がどう思っているかなんて、どうでもいいのかもしれない。ただ、明里との思い出を過去にできないでいるだけなのだ。

彼もこのことがわかっているし、周りを巻き込んでいることもわかっているけど、でも先に進めない。
そういうもどかしさをうまく表現している点が、秒速5センチメートルの素晴らしさだと思う。

更にこの作品の素晴らしいところは、終わり方が良い点だ。

一般的な解釈としては、長年思い続けた明里は結婚しようとしているけど、貴樹は踏切ですれ違ったような気がする明里を見て、やっと踏ん切りをつけられただけ。彼女とも別れて、仕事も辞めて何もない。そういう鬱エンドと解釈される事が多い。

しかしながら、先程述べたように、貴樹が「貴樹くんは、きっとこの先は大丈夫だと思う」ということばを引きずっていたとしたら、これほどのハッピーエンドはない。

彼は明里との思い出から開放されて、今を生きることができるようになったのだ。最後の場面の貴樹の顔の、なんと穏やかなことか。

春という季節は不思議で、昔のことを色々と思い出す。
ある程度の年数を生きていると、昔の思い出が足かせになることが度々ある。
でも、昔の思い出に縛られることなく、常にいまを生きていたいものである。

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

第二コリント 5:17