Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

主の祈り(6)

わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。 (‭マタイによる福音書‬ ‭6‬:‭13‬ JA1955)

今日の箇所も、読み方を間違えると誤解してしまう箇所です。

ここでイエス様は、私達の人生が「無風状態」である事を祈れと教えているのではありません。

「試み」と訳されているギリシャ語は、誘惑とも試練とも訳せる言葉です。

私達は、試練と誘惑を混同しがちです。前者は神の義による訓練であり、後者は悪魔が破滅へ導くための罠であることを、もう一度確認しておく必要があります。

だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。 (‭ヤコブの手紙‬ ‭1‬:‭13‬ JA1955)

とあるとおり、神様は悪魔による誘惑を、積極的に許すことはありません。

しかし、実際問題、悪魔による誘惑はあります。

この世界で起こることは、全て神様がお許しになったことであります。ヨブ記を見ても分かるように、悪魔の策略でさえも、主がお許しにならなければ実現しません。

私達に降りかかった患難が、神様が訓練のためにお許しになったか、悪魔の策略なのかというのは、なかなか分かりません。

ですから、私達は「試みに会わせないで、悪しき者からお救いください」と祈るのです。

どうか、私達が悪魔の誘惑に陥り、罪を犯すことがありませんように。むしろ、悪魔の誘惑でさえも、神様の栄光をあらわすきっかけとなりますように。