さだまさしの曲に、8つ目の青春という曲がある。
最近この曲を知ったのだけれども、僕はこの曲が大好きだ。
先輩の「男は恋をしていればいつでも青春」という言葉が、実に不器用な男らしい言葉である。
恋というのは、なかなか不思議なものだ。ある人が好きになると、その人のすべてがよく見える。もうその人しかいない!という思いになる。
これは一種の病気ではないか(さだの曲に、恋愛症候群という曲がある)。
ただし、病気だとすると、その病気が覚める時が来る。先輩も、恋が冷める時が来るのではないだろうか。
恋から覚めた時に来る、つまり青春が終わった時に来るのは、ある種の喪失感である。あんなに恋しかった人が、突然そうでもなくなる。
だからといって、嫌いになるわけでもない。ただ、嫌な部分も見えてくるし、自分の思い通りにならないことに苛々したりもする。
そこで必要になるのが、愛なのだと思う。
愛とか恋だとか、正直言って私には難しい。でも、実際恋もするし、一人の人を愛する(というか愛したい)気持ちも出てくる。
8つ目の青春は、青春まっただ中で終わる。でも、先輩と8つ目の青春と呼ばれる子の間には、いろいろな問題や課題が浮上してくると思う。
こんな人とは思わなかったなんて、日常茶飯事かもしれない。
それでも、私たちは人を愛するし、人を好きになる。
全く人間というのは、とても厄介だ。自分というのも、とても厄介だ。
でも、厄介だからこそ、愛せるのかもしれない。
厄介だからこそ、好きになるのかもしれない。
そんなことを思った、日曜日。