Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

主の祈り(5)

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。 (‭マタイによる福音書‬ ‭6‬:‭12‬ JA1955)

今日は、主の祈りの5回目です。

今日の箇所は、自分の罪が赦された確信と、他人の罪を許す寛容さを与えてくださいという祈りです。

今日の箇所を口語訳で読むと、人の罪を許すから、自分の罪が赦されるように読み取れます。

同じ箇所を新改訳で読むと、順番が逆になっていることが分かります。

これは翻訳上の都合だと思うのですが、ここで興味深い発見があります。

よく考えてみると、自分の罪が赦されることと、人を許すというのは表裏一体ではないでしょうか。

私達は、自分には何の功績も無いのに、ただ十字架と復活を信じる信仰によって罪赦されました。

この恵みを受け止める時、「こんな自分も赦されたのだから」と思って、他人を許せるのではないでしょうか。

また反対に、他人を許せた時、自分の赦しの確信も得られるのではないでしょうか。

今日、聖霊に導かれつつ、自分が許せない人がいるか考えてみましょう。

もしそのような人がいるなら、「十字架の恵みによって、自分はその人を許す」と宣言しようではありませんか。

どうか、主の恵みによって、人を許すことができますように。