Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

キリスト教界隈を取り巻く諸事情

最近、立て続けにキリスト教界隈で大きなニュースを聞いた。

www.christiantoday.co.jp

www.christiantoday.co.jp

www.kirishin.com

ソースがクリスチャントゥデイばっかりなのはあれだが、まあ書いてあることは概ね事実だろう。

キリスト教界隈、特に福音派では、ちょうど40年くらい前が全盛期だったと言われている。この人達は多分、その頃のイケイケドンドンな信仰の流れにいた人だと思う。多分彼らは、今の教会とのギャップに苦しんだのだろう。その結果出した答えが、棄教だったり自殺だったり、自身の主張の撤回だったりしたわけだ。

現在の、特に先進国にあるキリスト教会は、かなり疲弊していると思う。現代教会はいろいろな問題(セクシャリティの問題とか、色々な異端との関わりとか、日本だと少子化による牧師減少や献金減少とか)を抱えている。

これらの問題は、少なくとも数十年前には無かったか目立たなかった問題であって、ほとんどの現役牧師は解決策が分からないどころか、問題を正しく捉えることさえ難しいかもしれない。これは別に牧師に限ったことではなく、役員とか年長の信徒も同じである。

この問題に対して、初代教会でのプラクティスから何かを学び取ろうとしたり、聖書の特定の箇所からヒントを得たり、祈っていくことはもちろん重要である。しかしながら、それだけでは足りなくなってきているのも事実だろう。

これは、私の所属する教団に限った非常にローカルで、かつ人の話を聞いた結果から来ている感覚であるが、戦後、キリスト教会が最も人で賑わっていた時代の関心事は、いかに教会を「教会」として運用していくかということであったと思う。

個々人の信仰が弱かったのではなく、現実としてそのような方向性を強いられていたのだと思う。人がたくさん来て、その人達と一緒に礼拝やレクリエーションをしなければならないのだから、自ずとそうなるだろう。

でも、今はそんな時代じゃないってことは、日本の教会に行けばすぐわかる。どこの教会に行っても、内情を聞けば閉塞感を感じてしまう事案が数個はあるだろう。

私も含めて、どこか閉塞感があるキリスト教界を生きるクリスチャンは、今後どのように信仰生活を歩めばよいのだろうか。そんなことを、冒頭で挙げた記事たちを読んで考えた。

ここ数ヶ月は信仰的にストレイ・シープになっていたようで、キリスト教会に対してはかなり冷めた見方をしていた。だから、冒頭の記事を読んでもさほど驚かなかった(悲しかったが)し、自分も一歩間違えば同じ道を辿るだろうと思った。

今も結構冷めてはいるが、イエス・キリストに対する愛だけは、忘れないようにしたいと思っている。あの十字架の場面、イエスの一言一言を読んで、聞いて得た感動と興奮は本物で、今でも心のなかで確かに燃え続けている。私の一日一日は主によって用意された一日であり、エキサイティングな一日が用意されていると信じたい。

なんだか書きなぐった感があるが、まあいいだろう。寝よう。おやすみ。