『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
使徒行伝 2:17
こんにちは。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
熊本地震の件、常にお祈りしています。
その中で、示されたことと言うか、自分の使命を感じたことがあったので、思うままに書いてみようと思います。
今月14日に起きた熊本地震で、多くの人が避難生活を余儀なくされています。 その中には、お年寄りや身体障害者の方、あるいはお子さんなど「弱者として認識される人」も居れば、見た目は普通でも、何らかの困難を抱えておられる方も居ます。
ある人は、統合失調症などの精神疾患を患っているかもしれません。ある人は、自閉症スペクトラムの傾向があるかもしれません。
東日本大震災では、このような「見えない障害」を持っておられる方々が、避難生活において様々な不利益を被ったことが報告されています*1。
本来、真っ先に支援を受ける必要がある方々が、十分な支援を受けることができないばかりか、肩身の狭い思いをする。それが、今の現状なのです。
私は、この状況に対して、非常な危機感を持っています。
ところで、このような現状にある原因は何でしょうか。私は、障害、特に見えない障害に対する理解不足ではないかと思います。
残念ながら、多くのキリスト教会も、未だにこのような傾向があることを認めざるを得ません。
本来、救いを求めて来るはずである教会が、いつの間にか「現代の律法主義*2」で固められてしまい、「弱者お断り」となってしまう。
表だっては言わないにしても、精神疾患が治らないのは「信仰が薄いから」だとか、発達障害の傾向がある人が普通に振る舞えないのは「我慢が足りないから」だとか、そんな雰囲気がどこかにあるのではと思います。
このような雰囲気は、世界全体から早々に消え去るべきだとは思います。
しかし、まずはキリスト教会から、このような雰囲気を消し去るべきです。
それを実行するには、どうすればいいでしょうか。牧師が頑張ればいいのでしょうか。
従来型の教会というのは、牧師が羊飼いで、信徒が羊でした。羊飼いは羊にサービスをして、羊もそれが当たり前のように、牧師の献身的なサービスを受け続けて来ました。
ところが今、日本のキリスト教界では、牧師不足と信徒の少子高齢化が叫ばれています。
神様は日本を見捨てたのではないか。そう思う方も、もしかしたら居られるかも知れません。
しかし、私は今の状況こそ、神様が与えられた「日本のキリスト教界が変わるチャンス」だと思っています。
これからは、信徒一人一人が聖書を真剣に学ぶことによって、「牧師が何と言っているか」ではなく、「イエスキリスト、神は何と言っておられるか」に焦点を合わせる必要があると思います*3
イエス様は、障害について何と言っているか。災害について何と言っているか。神様の御心はどこにあるのか。それらを、私たちは真剣に学び、感じ取る必要があるのです。
旧約聖書に、似たような話があります。エズラという学者の話です。
バビロン捕囚の後、神の民を再度正しい方向に導いたエズラは、律法に精通した学者でした。
エルサレムの民は、エズラが帰還する50年ほど前に神殿を完成させ、その時は信仰に満ちあふれていました。しかし、彼らには一時的な気持ちの高揚しか無く、持続的な信仰を持つ手段がありませんでした。
そこで活躍したのが、エズラでした。彼は民にモーセの律法を教え、信仰のあり方を教育したのです。
「神殿の完成」という一大イベントに比べれば、律法の書を延々と教育するということは、一見地味で非効率的な印象を持たれるかもしれません。
しかし、それは時にかなった手段でした。彼らは律法を真剣に学び、リバイバルが起こったのです。
私の夢は、ここにあります。私は信徒として、聖書のこと、障害のこと等を語り続け、キリスト教界内外に、エズラの時のような霊的覚醒が引き起こされることを夢見ています。
幸いな事に、今は情報を発信する手段がいくらでもあります。ブログ、SNS、電子書籍...。それらを活用すれば、読んでくれる人は少ないかもしれないけれども、情報を発信することができます。
だから、私は情報を発信し続けたい。
たとえすぐに結果が出なくても、どこかの誰かが、少しでも良い恵みを受けられることを夢見て、情報を発信し続けたい。
私には、夢がある。