最近、祈れないときこそ祈るというのが大切なのだと思ってきた。
祈れないというのは、つまりは心がざわついている状態だと思う。ざわつきの原因はいろいろであるが、そのほとんどは単なる思い煩いだ。
私たちは、思い煩いに支配されている時間が、あまりにも多い。誤解を恐れずに言えば、そんな時間は無駄である。
こう言えば驚かれるかもしれないが、思い煩いは罪である。なぜなら、それは神の主権を信じず、自分の主権を信じているからである。
人生の主権は神にある。自分にはないのだ。
そういうわけだから、私たちが祈るということは、大切なのである。
イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
申命記6:4-5
思い煩いに使っていた心・精神・力を、主を愛す力に使おうではないか。