Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

透明な壁(1)

透明な壁


  出会い

 

 人生というのは、時にして思いがけない出会いがあり、その出会いから思いがけない物語が始まる。この物語も、そんな思いがけない出来事から起こった、ある二人の物語である。

 学校を卒業して、もう四ヶ月が経っていた。難航した就職活動がやっと終わり、私はある基板製造会社への就職が決まっていた。社宅への引っ越しも無事終わり、あとは入社日を待つのみだった。季節は、もう秋へと移り変わろうとしていた。
 
 私は、学生時代にキリスト教の洗礼を受けていて、毎週教会に通うことが当たり前となっていた。そういうわけで、新しい土地で初めて取り組んだ仕事は、教会探しであった。だいたい行く教会は決まっていたのだけれど、二つのうちどちらの教会にするかで、最後まで悩んだ事を覚えている。悩んだ結果、車で四十分ほどの教会に行くことにした。

 地図を頼りにたどり着いた教会は、大きな公園の近くにひっそりと佇む、築五十年以上にもなりそうな教会であった。「集会案内」と大きく書かれた掲示板と、赤い十字架が目印の看板が印象的だ。信徒と言えども、行ったことのない教会に足を踏み入れるということは、とても勇気がいることだ。勇気を出して踏み入れても、誰も出迎えてくれないと帰りたくなるくらいである。しかし、この教会ではそんな心配は無用であった。一歩足を踏み入れれば、子供たちの元気な声と、優しそうな男性の笑顔が出迎えてくれた。

 その日のメッセージは、ルカによる福音書二十三章三十四節の

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。」

というみ言葉から、神の愛についてのメッセージが語られた事を覚えている。

 礼拝が終わって、歓談の時が来た。私が誰に話しかけようかと会堂を見渡したところ、一人の若い女性が目に入った。彼女は、水色のブラウスに黒のスラックスという、どこか堅苦しげな印象の女性であった。それに、なんだか表情も強ばっているような気がする。

 普通なら話しかけないような雰囲気である。それでも、同年代のクリスチャンという物珍しさ故に、私は彼女に話しかけてみた。はじめは簡単な挨拶から始まり、少しだけ自分の事について話してみた。彼女は確かに硬い表情であったが、私の話をよく聞いてくれた。とても聞き上手な女性というのが、彼女に対する第一印象であった。

 その日を境に、私の日曜日は二つの意味で楽しみになった。一つはもちろん礼拝で、もう一つは彼女に会うという楽しみである。彼女は相変わらず聞き上手で、私の話を飽きずに聞き続けてくれた。私は、いろいろな話をした。神様の事、聖書のこと、工学のこと。理解できる話もできない話も、彼女は真剣に聞いてくれた。そんな彼女を、私はいつからか、好きになっていた。

 やがて季節は変わり、一度目の冬が来た。教会はクリスマス一色になり、礼拝ではアドベントキャンドルが一本ずつ点火されていった。私たちの関係も、アドベントキャンドルが灯っていくペースで、週を重ねるごとに親密になっていった。そしてある週、私たちはより親密な関係を始めることにした。これが主の御心だと信じて。