快晴だ。
雲一つ無い。と思ったけど、雲が一つだけあった。
それでも、やっぱり快晴だ。
今朝は、びっくりする位の豪雨だった。風も強いし、まさに横殴りの雨だった。
でも、それは朝方だけで、昼頃になると天気が良くなった。なんだか、僕たちの日常みたいだ。
雨風が吹き荒れる時もあれば、空が澄んで、そよ風が吹いて、湖が油を流したように静まる時もある。日常、あるいは人生というのは、そういう物なのだろう。
僕たちは、その日常の中で、人とふれあい会話をする。時には恋が芽生えて、そこから愛が育つ。
そう考えると、平凡だ、繰り返しだと思っている日常が、一気に楽しくなってくる。
今日は日曜日なので、礼拝に出席した。
今日は、キリストの証人として生きるというテーマで、メッセージが語られた。
私たちは、キリストの復活と昇天を見ていないけれども、初代教会の信徒が伝えてきた証言を聞いて、信じた。
私たちの次の世代も、私たちの証言を聞いて信じるのである。
私たちの証言の信憑性は、聖霊が保証してくださる。私たちが「イエスは三日目に復活し、今も生きてられる。私たちは、彼を自分自身の救い主として信じる」と証言したときに、その証言には聖霊の証印が押されているのである。
僕自身に子供ができるかは、今のところわからない。人間的な考えでは、子供なんてとうてい無理だと思うけれども、それは神様にしかわからない。
でも、たとえ子供ができなかったとしても、私たちは何らかの方法で、後生にこの信仰を引き継ぐ必要があると思う。
その方法は、まだわからない。主が示してくださるよう祈ろう。
熊本では、今まさに、非日常が起きている。
僕たちには、何ができるだろう。
僕たちも、日常を非日常にするのだろうか。否。それは、あまり意味のないことだと思う。
僕たちは、日常を送りながら、できることをやるのが一番だと思う。
日常を送れることに感謝して、愛している人に「愛している」と、何かの方法で伝えよう。明日では遅いかもしれない。
当たり前の日常を、当たり前のように生きつつ、感謝する。
そうやって淡々と送る日々も、価値があると思う。
きょうを生きよう。