なんとなく、新卒でフリーランスになった人や、何処かでフリーランスに転向した人のブログを眺めていた。
彼らはいろいろな経緯を辿って、フリーランスになったようだ。
僕も、フリーランスというものに憧れて、一度それっぽい活動をやってみたことがある。
結果どうだったかって?今普通にサラリーマンやってるんだから、そういうことだ。
僕がフリーランスに憧れたのは、お恥ずかしい理由だが、就職活動がうまく行かなかったからだ。
今から考えてみると、あのアピールと態度じゃ無理だよなぁと思うのだけれども、当時はそんなことにも気が付かなかった。
他のいろいろな痛手もあって、すっかり気が滅入ってしまったのである。就職活動を投げ出したかった。
就職活動からの逃避が、フリーランスへの憧れだったのだ。
あとは、「ふつう」ということに対する、ある種の嫌悪感とも言える感情もあった。
「レールを外れよう」という、よくあるアレだ。あれは本当にたちが悪い。
そんな僕も、今では無事会社員の仲間入りである。
僕は今、嫌悪していた「普通」の生活を送っている。
朝同じ時間に起きて、会社に行って、技術者っぽい仕事もそれっぽくない仕事も無難にこなして、7時くらいになったらぼちぼち帰る。
帰って少し休んだら、もう寝る時間だ。今日もぼちぼち働いた。
それを月曜から金曜まで続けて、たまに土曜に出勤する。
これを、あと何千回と繰り返す。
そうだ。彼女もできた。ゆくゆくは結婚して、これまた普通の結婚生活を送るだろう。
この話を伝記にまとめたとしても、たいして面白くない。
僕の障害や彼女の障害を含めたら、少し起伏のある物語になるかもしれないが、それにしても本になる程でもない気がする。
それでも、今僕は幸せだと思う。
確かに、時々日々がつまらなくなるときもある。
もっと注目されたいとか、有名になりたいと思うときもある。
でも、それって僕の欲から出てるものであって、成就したところで
さらなる欲が出てくるだけだ。
限りある人生を、底なし沼のような欲を満たすだけに浪費していいのだろうか。
伝道の書に「空の空。一切は空である」とある。
この言葉は、当時で考えうるすべての快楽を貪り尽くした、ソロモンが語った言葉だ。
彼はすべての欲を満たし尽くしたあと、「空の空」と言った。
彼は、神を除外した一切の快楽や富は、全て虚しいと証言したのだ。
やはり、欲を貪るだけの人生は空虚だ。
僕は今、普通の人生を歩んで、普通の幸せを得ている。
それに加えて、神をおそれ、神に従って生きようとしている。
これだけで十分じゃないか。
これ以上の幸せはどこにある。
ふつうはいいぞ?