Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

ふつうはいいぞ?

なんとなく、新卒でフリーランスになった人や、何処かでフリーランスに転向した人のブログを眺めていた。

彼らはいろいろな経緯を辿って、フリーランスになったようだ。

僕も、フリーランスというものに憧れて、一度それっぽい活動をやってみたことがある。

結果どうだったかって?今普通にサラリーマンやってるんだから、そういうことだ。

僕がフリーランスに憧れたのは、お恥ずかしい理由だが、就職活動がうまく行かなかったからだ。

今から考えてみると、あのアピールと態度じゃ無理だよなぁと思うのだけれども、当時はそんなことにも気が付かなかった。

他のいろいろな痛手もあって、すっかり気が滅入ってしまったのである。就職活動を投げ出したかった。

就職活動からの逃避が、フリーランスへの憧れだったのだ。

あとは、「ふつう」ということに対する、ある種の嫌悪感とも言える感情もあった。

「レールを外れよう」という、よくあるアレだ。あれは本当にたちが悪い。


そんな僕も、今では無事会社員の仲間入りである。

僕は今、嫌悪していた「普通」の生活を送っている。

朝同じ時間に起きて、会社に行って、技術者っぽい仕事もそれっぽくない仕事も無難にこなして、7時くらいになったらぼちぼち帰る。

帰って少し休んだら、もう寝る時間だ。今日もぼちぼち働いた。

それを月曜から金曜まで続けて、たまに土曜に出勤する。

これを、あと何千回と繰り返す。

そうだ。彼女もできた。ゆくゆくは結婚して、これまた普通の結婚生活を送るだろう。

この話を伝記にまとめたとしても、たいして面白くない。

僕の障害や彼女の障害を含めたら、少し起伏のある物語になるかもしれないが、それにしても本になる程でもない気がする。


それでも、今僕は幸せだと思う。

確かに、時々日々がつまらなくなるときもある。
もっと注目されたいとか、有名になりたいと思うときもある。

でも、それって僕の欲から出てるものであって、成就したところで
さらなる欲が出てくるだけだ。

限りある人生を、底なし沼のような欲を満たすだけに浪費していいのだろうか。


伝道の書に「空の空。一切は空である」とある。

この言葉は、当時で考えうるすべての快楽を貪り尽くした、ソロモンが語った言葉だ。

彼はすべての欲を満たし尽くしたあと、「空の空」と言った。

彼は、神を除外した一切の快楽や富は、全て虚しいと証言したのだ。

やはり、欲を貪るだけの人生は空虚だ。


僕は今、普通の人生を歩んで、普通の幸せを得ている。
それに加えて、神をおそれ、神に従って生きようとしている。


これだけで十分じゃないか。
これ以上の幸せはどこにある。

ふつうはいいぞ?