Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

テロはパリだけではないという事実

今日Facebookを見ると、プロフィール画像トリコロールにする機能が追加されていた。

これは、言うまでもなくパリで起きたテロに対する哀悼の意を示した物で、良いことだと思う。

ただ、「テロで人が死ぬのはパリだけではない」という意見もある。中東では、今日もいろいろなところで、テロの犠牲になっている人々がいる。

僕は、Facebookのプロフィールをトリコロールにすることに戸惑いを感じている。

今まで、テロの事など気にもとめていなかった。シリアというどこか遠い国で、僕たちの知らない事が起きているのだ。その程度にしか思っていなかった。

テロの問題だけではない。貧困の問題も、民族紛争の問題も、世界中にはありとあらゆる問題が山積している。しかしながら、私たちはこの問題に目を向けようとせず、ただ自分の平穏無事な日々だけを求めているのである。

もっとも、このことが悪いとは思わない。ほとんどの問題は、我々一人には荷が重すぎる問題で、どうしようもないのだ。私たちは無力だ。

この無力さは、いったい何に対しての無力さなのだろうか。テロ組織に対する無力さだろうか。あるいは、世界の流れに対する無力さだろうか。

 

この無力さは、罪に対する無力さである。我々は、自分の内にある罪に気がつきながらも、それに対して対抗する手段を持っていないのである、そんなやり場のない怒りやもどかしさが、今の世の中を作っているのではないだろうか。

人間一人には、一日一日を精一杯生きることしかできない。それ以上の事ができるのは、一部の限られた人間である。

だからといって、あきらめてはいけない。私たちには、祈る事ができるではないか。

 

天地宇宙を創造された神様を礼拝し、祈ることができる。それだけで十分だろう。

 

主よ。どうかこの無力な私の祈りをお聴きください。主の最善が成されるように、私たち一人一人を導いてください。