Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

4連休終わったな

あっという間に4連休が終わってしまった。

この4連休は、Judge Eyesやってた。巷でキムタクが如くって言われてるやつ。

今やるならGhost of Tsushimaだろって言われるかもしれないけど、元寇の話とかあんまり興味ないので・・・。

キムタクが如くについては、まあレビューはそこら中にあるから今更書く必要はないと思うが、よくも悪くも「キムタクが如く」である。

チェイスモードの「ちょっ待てよ」は、なんかもう遊んでるとしか思えないレベル。
ただまあ、面白いから許す。

あとは、少し前から気になってた、Docker周辺の技術で少し遊んでみた。Software Design に、内部の技術的な記事が多く載ってるけど正直ちんぷんかんぷんなので、とりあえずどんなものかなって程度の知識は仕入れておきたい。

ただ、未だにコンテナオーケストレーション周りのことはよくわからないし、そもそも実務で使う様子がないので掴みさえもわからない。

こうやって考えてみると、私の技術者としての技術レベルは正直微妙で、第一線でバリバリできるようなスキルセットはあんまり持ち合わせていないのではと考えている。

今後のキャリアとしては、今いる会社で兼業社内SEやるか、独立してITなんでも屋みたいなことするかのどちらかなんだろうなと思っている。

まあ、ぶっちゃけ情報システム開発で、KPIがどうとか言われながらこき使われるよりかは、今みたいなポジションのほうが楽だ。技術の習得速度は遅いかもしれないが。

30歳前後で自分のキャリアを考えるとはよく聞くが、たしかに今が一番重要な時期かもしれない。

生き方が変わっていく

久しぶりすぎて、一瞬管理画面への行き方が分からなかった。

最近は生産管理システムの開発とかで色々と忙しくしてたけど、それも一段落して、ちょっと会社での自分の方向性を考えようかなと思っていたところだった。

その後色々とあって、今所属している製造部でのキャリアパスを上から示されて、私の中でいろいろな思いが渦巻いている。

私が今いる会社は、そもそも情報システム部門も無いような中小製造業なので、最初から情報システム専業としてのキャリアパスは期待してなかったし、無理だと思っていた。

まあ、ぶっちゃけもし仮に情報システム専門のキャリアパスを提示されても、それはそれで悩んだと思う。どう考えても茨の道だし・・・。

だけれど、製造部でのキャリアパスに乗っかるのも、それはそれで茨の道である。少子化の影響か知らないけど、年々人材確保は難しくなるし、高齢化で退職する人も多くなる。
顧客対応の労力も当然増えるし、なかなか修羅場的な物も何度も経験することになるだろう。

こういうことを考えていると、必然的に技術的な内容に割ける時間は減ってくる。もしかしたら、今後は管理業務がメインになって、技術的な仕事は気分転換とか趣味程度になるかもしれない。

新卒の就職活動でしくじった身分で、今のようなある程度期待されて、自由が効くような職場に潜り込めただけでも幸いだとは思うが、自分の生き方が変わっていくのはやはりしんどい。

変化を受け入れるのは大切で、いつまでも一つの状態に留まっているべきではないと思うが、やはり慣れるまでは少し大変かもしれない。

久しぶりに自分の思いを書いてみたけど、こういうのは良いね。今後も、時々やりたい。

GPD micropc買った

皆さんご無沙汰しております。

世の中はコロナ禍でえらいことになってますが、私の実生活はなんとか問題なく稼働しております。

久しぶりの投稿で早速あれですが、ちっこいPCを購入してしまいました。こいつはシリアルポート搭載してたりでなかなか面白いのですが、性能自体もCeleron N4100というまだマシなCPUを積んでいまして、メモリも8GB、ストレージもM.2 SSDという思ったよりまともに動く代物です。

Visual Studioも、起動は遅いながらもなんとか常用レベルなので、これ単体でポチポチ開発できそうな代物です。

いわゆるUMPCは、ストレージの遅さで足を引っ張られる感じがあるのですが、そこをM.2 SSDにしたのは高評価ですね。

電池持ちはちょっとイマイチですが、モバイルバッテリーでも充電できるので良しとしましょう。

このPC、ガジェット好きの方は買いな一品だと思います。私は大満足です。

私にとっての教会

平日は忙しくてあまり考えないが、休日になると、自分にとって教会とは何なのかよく考える。

クリスチャンじゃない人にとっては、祈る場所くらいの認識しかないと思う。ただ、少しでも教会に通い続けてみた人は、教会には驚くほどの多種多様な役割や、集会があることに気がつくと思う。

私は個人的に、自分が制御できない時間(会議とか、誰かのお話を延々と聞くとか)は、正直言って苦手だ。だけれども、社会というのは大体それの繰り返しで、偉い人なんかの仕事は延々とそれをやり続けるような内容だったりする。

僕はそういうのが辛いので、田舎で技術者をやっているのである。田舎企業での技術者は良いよ。技術系の話は大きいものから小さいものまで全部ほぼ丸投げだけど、会議とかそういう僕の苦手な物はほとんど回ってこない。

もちろん、なにかをする上で必須となるコミュニケーションは求められるが、まあ最低限人間っぽい受け答えと、愛想の良い感じが出せたら困ることはない。いきなり使いかけのボールペン売れとか、そんな無茶な要求もされないし。

話がそれた。要するに、私にとって技術者という仕事のほうが、教会に行くより幾分気が楽だということである。

なぜなら、教会というところは、なんだか知らないけど一昔前の会社みたいな組織なのである。私みたいな気質の人にはなかなか居づらい空間だ。

ムダに長い会議を定期的にやったり、もっと省力化できそうなところにわけわからないほど労力を割いたり、意味不明である。

まあ、これ以上書いても仕方がない。とりあえず、私は今いる教会に、組織としての魅力は全然感じていない。改革が必要である。

それでも私が教会に行くのは、そこが神を礼拝する場所で、同じ神を信じる信徒との関わりを持てる場所だから。それ以上でもそれ以下でもない。

だから、私は教会に行かなくなることは無いと思うが、正直今のままの運用方法で貫き通すなら、あまり深く関わりたくはないと思っている。

前時代的な風習を絶たなければ、教会は時代遅れになるだろう。信仰は保守的な方が良いとは思うが、やり方というか、教会運営は時代に合ったやり方をやるべきだと思う。そうじゃないと、福音派の教会は今以上に、敬老会みたいになってしまうのではないか。

信仰の世界に年功序列の話を持ってるくるのは良いが、果たしてそれで教会の未来はあるのだろうか。

祈りと行動が必要だと思う。

過集中だ寝よう

私には多少発達障害気味な部分があるようで(メビウス症候群に関係するかは知らない)、時々過集中になる。

過集中の時って、絶好調でもうこの調子が永遠に続いてくれと思うほど、仕事の効率が良い。

しかもこれは数週間くらいは続くので、その間は無双状態である。

ただし、無双状態が切れたときが地獄なのだ。あのけだるさとメンタルの悪化はほんとにきつい。

今も、なんだか過集中な気配がするので、今日は大人しく寝ることにする。

キリスト教界隈を取り巻く諸事情

最近、立て続けにキリスト教界隈で大きなニュースを聞いた。

www.christiantoday.co.jp

www.christiantoday.co.jp

www.kirishin.com

ソースがクリスチャントゥデイばっかりなのはあれだが、まあ書いてあることは概ね事実だろう。

キリスト教界隈、特に福音派では、ちょうど40年くらい前が全盛期だったと言われている。この人達は多分、その頃のイケイケドンドンな信仰の流れにいた人だと思う。多分彼らは、今の教会とのギャップに苦しんだのだろう。その結果出した答えが、棄教だったり自殺だったり、自身の主張の撤回だったりしたわけだ。

現在の、特に先進国にあるキリスト教会は、かなり疲弊していると思う。現代教会はいろいろな問題(セクシャリティの問題とか、色々な異端との関わりとか、日本だと少子化による牧師減少や献金減少とか)を抱えている。

これらの問題は、少なくとも数十年前には無かったか目立たなかった問題であって、ほとんどの現役牧師は解決策が分からないどころか、問題を正しく捉えることさえ難しいかもしれない。これは別に牧師に限ったことではなく、役員とか年長の信徒も同じである。

この問題に対して、初代教会でのプラクティスから何かを学び取ろうとしたり、聖書の特定の箇所からヒントを得たり、祈っていくことはもちろん重要である。しかしながら、それだけでは足りなくなってきているのも事実だろう。

これは、私の所属する教団に限った非常にローカルで、かつ人の話を聞いた結果から来ている感覚であるが、戦後、キリスト教会が最も人で賑わっていた時代の関心事は、いかに教会を「教会」として運用していくかということであったと思う。

個々人の信仰が弱かったのではなく、現実としてそのような方向性を強いられていたのだと思う。人がたくさん来て、その人達と一緒に礼拝やレクリエーションをしなければならないのだから、自ずとそうなるだろう。

でも、今はそんな時代じゃないってことは、日本の教会に行けばすぐわかる。どこの教会に行っても、内情を聞けば閉塞感を感じてしまう事案が数個はあるだろう。

私も含めて、どこか閉塞感があるキリスト教界を生きるクリスチャンは、今後どのように信仰生活を歩めばよいのだろうか。そんなことを、冒頭で挙げた記事たちを読んで考えた。

ここ数ヶ月は信仰的にストレイ・シープになっていたようで、キリスト教会に対してはかなり冷めた見方をしていた。だから、冒頭の記事を読んでもさほど驚かなかった(悲しかったが)し、自分も一歩間違えば同じ道を辿るだろうと思った。

今も結構冷めてはいるが、イエス・キリストに対する愛だけは、忘れないようにしたいと思っている。あの十字架の場面、イエスの一言一言を読んで、聞いて得た感動と興奮は本物で、今でも心のなかで確かに燃え続けている。私の一日一日は主によって用意された一日であり、エキサイティングな一日が用意されていると信じたい。

なんだか書きなぐった感があるが、まあいいだろう。寝よう。おやすみ。

免許更新に行った

今日、免許更新に行った。

私は幸いゴールド免許なので、講習自体は三十分くらいで終わった。ただ、混雑を避けたいので山奥の免許更新センターに行ったから、移動時間がかなり長かった。

最近、準中型免許なるものが新設されたらしく、それの説明を受けた。免許がどんどん細分化されるのは良いことだと思う。現状の制度でも、軽自動車と5トンの車が同じ免許で運転できるけど、それでいいのかと思うくらいだし。

私は田舎に住んでいるので、車がないと困るというか、生活ができない。最近は高齢者の事故が目立ち、高齢者ドライバーが目の敵にされているが、田舎では車が生活必需品だということがどのくらい認識されているか、時々疑問に思う。

まあ、生協やネット販売を駆使すれば別に困らないレベルで過ごせるかもしれないが、今まで車がないと困ると思い込んできた高齢者に、今更考えを変えろというのも無理な話である。

とは言うものの、やはり高齢者の運転は危ないという事実は変わらない。自動運転技術が早く実用化すれば良いのになあ。

僕も、あと50年くらいしたら免許返納を考える時期になると思うが、それまでには自動運転技術が実用化されてれば良いなと思う。

まあ、それまで生きているかもわからないけど。