そこには、ねたみをひき起すねたみの偶像があった。 (エゼキエル書 8:3 JA1955 抜粋)
今日の箇所は、前回から1年半程経った、捕囚から6年目の出来事です。
この章で、エゼキエルは神の幻のうちで、エルサレム神殿で行われていた偶像礼拝を見ました。
これは、ひどい堕落です。
この状況を見て、神様は怒ると同時に、ねたみを覚えられました。
ここで言うねたみとは、夫婦関係におけるねたみに似ています。夫や妻が他の異性と姦淫したのを妬むのは、正しい事です。
イスラエルの人々は、霊的姦淫の罪を犯したのです。
ねたみは、愛が深ければ深いほど大きいものです。主はイスラエルを特別に愛しておられましたから、そのねたみと裁きも大きかったのです。
しかし驚くべきことに、神様は一旦は裁かれますが、次の世代やその次の世代では、再び恵みを増し加えてくださるお方です。
その極みが、御子イエスの受肉と十字架による罪の赦し、復活と昇天です。
主の愛は変わることがありません。一時的に神様が見えなくなるような状況に置かれても、主はイスラエルを見捨てなかったように、決して私たちを見捨てることはありません。
今日も、この恵み深く、愛なる神様にお従いして歩みましょう。