Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

タイマー作った

職場でスマホのタイマー使うと若干後ろめたさがあるので、コマンドで動くタイマー作った。
それっぽいの探したけど、求めてるような超シンプルなものがなかったので、作った。

Javaで適当に書いたので、以下にソースを載せておく。使いたい人がいたら、勝手にコピペしてコンパイルしてください。

もしどうしても使いたいという物好きがいたら、バイナリあげるので連絡してください。

それにしても、Javaって楽チンでいいよね。C言語でこれ書こうと思ったら、もう少し頑張らないといけないと思う。

package javaapplication1;
import java.io.*;
import java.util.logging.Level;
import java.util.logging.Logger;
import java.util.*;
import java.util.Timer;
import javax.swing.JOptionPane;
/**
 *
 * @author kamotti92
 */
public class JavaApplication1 {

    /**
     * @param args the command line arguments
     */
    public static void main(String[] args) {
        // TODO code application logic here
        int timei = 0;
        System.out.println("A Timer");
        System.out.print("Input Time(m):");
        //Scan time from Key
        InputStreamReader is = new InputStreamReader(System.in);
        BufferedReader br = new BufferedReader(is);
        String time = new String();
        try {
            time = br.readLine();
        } catch (IOException ex) {
            Logger.getLogger(JavaApplication1.class.getName()).log(Level.SEVERE, null, ex);
        }
        try{
                timei = Integer.parseInt(time);
        }
        catch(NumberFormatException e)
        {
            System.err.println("Input String is not Number!");
            System.exit(1);
        }
        //Start Timer
        Timer t = new Timer();
        //Get Start Time
        long st = System.currentTimeMillis();
        t.scheduleAtFixedRate(new TimerTask() {
          @Override
          public void run() {
               System.out.println((System.currentTimeMillis() - st)/60000 + " Minutes Passed");
          }
        },  0, 60000);
        try {
          Thread.sleep(timei*60000);
        } catch (InterruptedException e) {
          e.printStackTrace();
        }
        t.cancel();
        System.out.println("Timer is End");
        JOptionPane.showMessageDialog(null, "時間になりました!");
    }
    
}

創世記1:10

神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。(口語訳)

And God called the dry land Earth; and the gathering together of the waters called he Seas: and God saw that it was good. (KJV)

注解

地を陸と名づけ

KJVにあるように、「陸」は地球とも、地とも言える。

ところで、繰り返し語っているように、名前をつけるという行為は神の主権を表す。

私達が今立っている地球は、神がデザインされ、神によって創造され、神によって命名されたのである。従って、この地上で起こったすべての栄光あることを、神に帰するのは当然ではないだろうか。

海と名付け

「陸ではないところ」とするのではなく、海と名づけたことには意味があると思う。

感想

このところ天地創造を丁寧に追いかけているが、その中で非常に印象に残っているのは、きちんと秩序だっていることだ。

三日目は気が進まないから休むなんて話はないし、創ったけど気に入らないから壊すってこともないし、途中でやっぱりやめたってこともない。

神は一度始めたことを、途中でやめるようなお方ではない。

これは日々の生活にも適用できると思う。神の約束は、変わることがない。

み名を褒め称えます。

創世記1:9

神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。(口語訳)

And God said, Let the waters under the heaven be gathered together unto one place, and let the dry land appear: and it was so.(KJV)

文脈

三日目の創造である。現時点では、地上は海で覆われており、天を水蒸気が覆っている状態。シャカイナグローリーの光があり、昼と夜がある。

ワードスタディー

「一つ所に集まり」

科学的に考えると、地表の水が減るには、水が蒸発しなければならない。もし水が蒸発したと考えるなら、非常に大きな熱エネルギーが地表に与えられたのだろう。

隕石でも落ちたのかとか考えてしまうが、まあそのへんを突き詰めても、あまり明確な答えを得ることはできないだろう。

「かわいた地」

文字通りの意味かと思われる。「かわいた地」といえば、出エジプトの奇跡を思い出すが、その箇所でも同じ単語が使われている(出エジプト14:16)。

感想

こうやって創造の過程を見ていると、神様は、動物や人間が住むための土台として地球を創造されているように見える。

もしそうだとするなら、私達は、今以上に地球環境に気を配る必要があるのではないかと思う。

創世記1:8

神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。(口語訳)

And God called the firmament Heaven. And the evening and the morning were the second day. (KJV)

文脈

天地創造の2日目について、続けて学んでいる。今日の箇所は二日目の最後で、神が名前をつけられる箇所である。

ワードスタディー

天(Heaven)

ヘブル語で "šā·mā·yim;"。Skyとも訳せる。実際、英語訳聖書で「Sky」と訳している聖書も多くある。

新約聖書パウロは、天が多層になっているように解釈していると読めるが、モーセの時代にもそのような考えがあったかどうかは不明。

いずれにせよ、現代における「大気中」と、「宇宙空間」と、「天国(神が居られる場所)」を含んだ言葉であると考えて良いと思う。

名付けられた

聖書において、「名」はその名を持つ対象の実存を表す。

つまり、「名」をつけるというのは、その対象への支配権と、統治権を有するということである。

感想

こうやって厳密に聖書を読んでいると、いろいろな発見がある。これからも続けたい。

機動戦艦ナデシコを見た

ゆぅげっとばーにんっ!

とっても今更だけど、機動戦艦ナデシコを見た。

その筋の人には名作中の名作であるが、どうもスレイヤーズとかエヴァとかの影に隠れて、いまいち目立たない気がする。

僕自身も、今まで面白いと聞いては来たけれども、結局見ないままだった。

どうせルリルリかわいいのアニメだろうとさえ思っていたからだ。

 

しかし、蓋を開けてみると、実に奥が深い。相転移エンジンや重力波等、SFの基本とも言えるメカ設定はしっかりしているし、世界観もしっかりしている。

それでいて、世界観の根底に恋愛と大昔のロボットアニメ(ゲキガンガー)があったりと、ちょっと砕けた部分もあって、固くなりすぎていない。

 

キャラ設定も、非常にしっかりしている。主人公は暗い過去を持っているが、それを重すぎると感じないくらいの明るさがある。

ヒロインはとぼけたようなキャラだが、やるときはやる秀才である。

ロボットアニメにお約束な熱血キャラもちゃんといるし(あっけなく死んでしまうわけだが)、女たらしのようなキャラもいる。

 

とにかく見ていて飽きない。僕は、一気に最終話まで見るというアニメの見方が好きなんだけれども、それをしても、最後まで飽きなかった。

飽きなかったどころか、物足りなさを感じたくらいだ。

 

ナデシコの終わり方には賛否両論あるみたいだけど、僕個人としては、含みをもたせたまま終わるのもいいのではと思っている。

 

ただ、本当に好きな作品は、最後まで書き切ってほしいと思うかもしれない。僕はフルメタルパニックが好きだけど、あれは最後までやって欲しかったし(実際やってくれた)、続編も読みたい(これはアナザーでやってくれてるかもしれない。まだ読んでないけど)。

 

とにかく、良い作品だった。90年代のアニメは、良作が多い。

内省的ということに関する随筆

僕は、夏目漱石芥川龍之介が好きだ。

僕が彼らと出会ったのは、高専2年生の頃だった。授業で、夏目漱石の「こころ」を読んだときの衝撃は、今でも覚えている。

それからというもの、僕は「内省的である」事が、一種の頭の良さをあらわすステータスと考えるようになった。

これはとても危険な事である。なぜなら、いくら内省したところで答えなんて出てこないからだ。

 

「答えが出ない」というのは誤りかもしれない。内省の先にある答えは、「自分が悪い」という答えだ。

妥協無き内省の結果は、自殺か鬱だと思う。非常に高い水準で(時に聖書の基準で)、まじめに内省をしていたら、結論は死ぬしかなくなる。

僕は一度、このような状況に陥った事がある。僕の場合妥協したので、死ぬことは無かったが。

当時の僕は、こんな事を考えていた気がする。

死んだところでどうなるだろうか。死ぬしかない人間が死んだところで、果たしてその死に何か贖罪的な意味があるだろうか。

たとえば犯罪人がその罪のために死ぬなら、なるほど当然の報いを受けて死ぬことになるかもしれない。あるいは、その死には犯罪予防的な意味があるかも知れない。

だが、他人から見ればきわめて善良な人間が、自分の内省の結果から出た自責感によって死んだところで、その死にいったい何の意味があるだろうか。

そしてこの考えの結論として、イエスキリストの十字架と復活を持ってきていたのではあるが、実はどうも腑に落ちていなかった(クリスチャンであったけれども)。

今思い返すと、このときは、十字架と復活を単なる論理的整合性をとるために持ち出していたように思う。

もちろん、十字架と復活は、そんな矮小化されるようなものではない。もっと雲の中から光が差すような、明確な解決策である。

 

僕は、自分の内省の整合性をとるためだけに、十字架を利用していた時期があったのだ。

十字架の救いはそんなものではなく、もっと絶対的な解決であるのに。

 

内省をするというのは悪いことではないが、時に自己完結するような錯覚に陥る危険性がある。

僕たちが救われるには、イエスキリストの十字架という、絶対的外部要因が必要なのである。内部完結型クリスチャンでは、本当の救いは見いだせない。

 

今、自分の中で、今日書いた事がとても腑に落ちている。

もしこの拙文を最後まで読んでくださった方が居るなら、僕の考えが少しでも良い影響を与えるといいなと思っている。

創世記1:7

そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。(口語訳)

And God made the firmament, and divided the waters which were under the firmament from the waters which were above the firmament: and it was so.(KJV)

文脈

二日目の創造では、水と水とを分ける業が行われた。7節はそれに関する詳細を記している。

いわゆる、同義的対句法と言えると思う。

ワードスタディー

おおぞらの下の水とおおぞらの上の水

「おおぞらの下の水」が海で、「おおぞらの上の水」が、地球を覆う水蒸気の膜だと考えられる。

「おおぞらの上の水」が、大洪水の時落ちてきた水であるとの説を聞いたことがある。本当かどうかは分からない。

手法の研究

旧約聖書には、今日の箇所のように、二行が同じ事柄を説明している文章がよく出てくる。

このような手法を「対句法」と呼ぶ。これはヘブル文学においては非常に一般的な手法であるらしい。

聖書を読んでいると、突然詩の形式になる事がある。普通、散文に詩を織り交ぜることはあまりないように思うが、聖書(あるいはヘブル文学)は例外である。

創世記を読み解く上で、対句法の理解は非常に重要だ。

感想

以前、この箇所はいったい何を言っているのか分からなかった。6節で水を分けているのに、今日の箇所でもう一度分けているからだ。

しかし、「対句法」という光に照らしてこの節を解釈したとき、この節はより鮮やかに二日目の創造を描き出す、すばらしい節になる。

聖書は、前提知識をもって読むと、普通に読む以上に神様からの恵みを受ける事ができる書物だと思う。

これからも、いろいろと学んでいきたい。