Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

エゼキエル書の裁きから見る、神の恵み

エゼキエル書とかエレミヤ書とか、捕囚前後に書かれた書物からメッセージを読み取るのは、結構難しいことです。

あまりにも裁きに関する預言が多くて、思わずそっとページを閉じてしまいそうです。

しかし、次の二点において、神の恵みを読み取れるのではないかと思います。

預言がされているという事実

そもそも、預言によって裁きの意味や時期が知らされているという事自体に、神様の恵みを感じます。

裁きだけが目的なら、何も言わずにさっさと(言葉は悪いですが)裁いてしまえばよいのです。

裁く前に理由を説明し、時期を教えているのは、悔い改めのチャンスが最後まで残されているという事ではないかと思います。

罪の裁きの厳格さから来る、赦しの確かさ

ここまで裁きを厳格になされるお方ですから、赦しにおいても徹底しているはずです。

旧約聖書で預言された裁きは、すべてその通りになりました。それならば、新約聖書で預言されている赦しも、成就すると考えるのが普通ではないでしょうか。

 

これからのエゼキエル書メッセージも、この点に注意して書きたいですね。どうか、主の導きがありますように。