今日、理加さんと「見えない障害」について話し合っていた。
理加さんは統合失調症と、それに伴う認知機能障害を抱えている。
見えない障害を理解するというのは、非常に難しい。人はどうしても、外見が問題なければ、その人が内面に障害を抱えていたとしても、理解できない。
たとえ理解したように思っていても、それは本当の理解じゃないこともある。
僕は、この一週間でそれを目の当たりにした。
彼女は、確かに内側に障害を持っている。
努力とか気の持ちようでどうにかなる物ではなく、それは確かに障害なのだ。足や手が動かないのと同じ。
事故か病気で足を失った人に、自分の足で歩けと言う人は居ない。無理だと分かっているからだ。
下半身不随になった人に、歩けと言う人は居ない。どう考えても無理だから。
でも、精神に障害を持った人に、普通の人のように振る舞うことを求める人は山ほど居る。あるいは、求めてしまっている状態は山ほどある。精神とは見えない物で、その見えない物に障害があったとしても、外見や少し関わったくらいでは分からないからだ。
僕自身、二年近く統合失調症の当事者とお付き合いしていながらも、本当の意味で精神疾患を理解していなかったのかも知れない。
そう思うと、精神障害者である当事者の方々に対して、支援や理解を示しているように見せかけて、実際の所分かってない状態が多いのかも知れない。
この投稿を最後まで読まれた方は、もう一度「見えない障害」について思いを巡らしてほしい。新しい発見があるかも知れない。
追記
見えない障害がある人でも、工夫はできるかもしれない。
例えば車椅子を使うように、何かアシストできる方法があるかもしれない。
僕はそれを考えていきたいし、工学で解決できることがあれば、やってみたい。