今日も統合失調症に関するお話をしよう。
統合失調症の予後において一番避けたいのが、症状の再発(再燃)である。
統合失調症の発症や再発について、現在では、ストレス脆弱性モデルと呼ばれる考え方が主流となっている。
このモデルでは、統合失調症の発症や再発は、患者本人が元々持っている素質と、一定以上のストレスによって引き起こされると考えられている。
患者本人が元々持っている素質とは、たとえば遺伝的な物であったり、脳の構造であったりする(詳しくは分かっていない)。
一定以上のストレスとは、その人が受容できる以上のストレスのことである。これは人によって異なる。
つまり統合失調症の発症や再発は、患者本人の素質と、キャパシティ以上のストレスによって引き起こされるのである。それはちょうど、ダムが決壊するように破壊的で、突然に起こる。
さて、以上の説明から、ストレスが発症や再発に大きな影響を与える事を納得いただけたと思う。
特に、一度発症した患者のストレスへの脆弱性は、発症前より格段に高くなっている事が知られている。
すなわち、再発を予防するためには、本人へのストレスを最小限にすることが不可欠である。
では、本人へのストレスを最小限にするにはどうすればよいだろうか。
ここである人は、本人に何もさせず、過保護にするという答えを導き出す。またある人は、本人の言うとおりに何でもしてあげようとの答えを導き出す。
実はこれらは、両方とも「高EE」と呼ばれる不適切な接し方である。
EEとは、Expressed Emotion(感情表出)の略であり、代表的な例として
- 批判
- 敵意
- 情緒的な巻き込まれすぎ
等がある。
1,2については、比較的わかりやすいと思う。病気の症状であることを理解できずに、「まただらだらして」と言うのは批判であるし、「おまえのせいで不幸だ」というのは敵意である。
しかし、3. についてはなかなか理解が難しい。先に挙げた過保護などは、情緒的な巻き込まれすぎに分類できると思う。
情緒的な巻き込まれすぎを起こしている人は、ある意味で非常に慈愛にあふれている。その人を憐れに思い、何とかしてその人のためになろうとしているのだから。
しかしその先にあるのは、病気の再発と支援者の落胆や失望という、共倒れの現実である。
誰にだって、意志や夢はある(統合失調症の当事者はこれが持ちにくかったり、表現しづらい事はあるかもしれないが)。それに反する決定を押しつけられたら、誰だってストレスを感じるだろう。
統合失調症や他の精神疾患を持つ方々と親密な関係を築こうとする場合、常に「高EEになってないか」を自問自答する必要がある。
以上の議論から、統合失調症の当事者の方に対して私たちができることは、「適度な距離感で、見守りつつ必要な助けをすること」である。
こう書いてしまえば簡単に見えるが、実際はそうもいかない。陰性症状がひどい時を見れば心配にもなるし、希死念慮や幻聴の事を聞くと不安になる。その心配や不安を相手に伝えないというのは、至難の業だ。
支援者も人間であるから、完璧ではない。従って、時には高EEに当てはまるような行動をとってしまうし、本人に対して辛く当たってしまうこともあるかもしれない。
支援者にとって、そして当事者にとってもっとも必要なことは、余裕を持つこと・完璧を求めないことではないだろうか。
人と生きるというのは、マニュアルに従って、業務的に遂行するような事ではない。相手の障害や特徴を理解しつつも、それ以外は他の人と同じように接すればよいのではないだろうか。
今日書いたことは、もちろん理想論である。私たちは不完全だから、いろいろな失敗を通ると思う。それでも、その一つ一つが、神様のご計画の一部であることをわたしは信じる。こう信じる事が、心の余裕にもつながると思っている。
最後に、このような事を考え・書くきっかけをくれた理加さんと、神様に感謝したい。