Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

「本人・家族のための 新しい!統合失調症講座」感想

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今日、購入したDVDが届いた。

このDVDは、統合失調症の発症から治療、さらにはリカバリーまでを紹介している。

今までの精神疾患治療は、症状の改善に重きが置かれていた。つまり、幻聴や妄想などの「症状」をいかに抑えるかが目標であり、当事者の心理社会的能力の回復にはあまり重きが置かれていなかった。

しかし、この状況は近年変わりつつある。このDVDでも取り上げられているが、最先端の臨床現場では、当事者がどのように社会参加をするかに重きを置くようになったのである。

つまり、病気の症状は残存していても、社会の一員として活躍できる方法を考えるのである。

これが、リカバリーという考えである。

「症状が残ったまま社会参加をする」という事に関して、違和感を感じられるのはもっともである。しかし、よくよく考えてみると、社会とは健常者だけのために存在するのではないということは、自明である。

「ただ数が多いから」という理由だけで、自分たちを「健常者」だと自認し、自分たちに都合のよい社会を作るのは、傲慢ではないだろうか。

誰しも苦手なことはあるのに、それを無いかのように、画一的に扱うような社会に未来はない。

人間社会は、リカバリーという概念を通して、致命的な欠陥を直視する必要がある。

聖書に、生まれつき目が見えない人に関する記事が出てくる。

イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。


ヨハネによる福音書 9:1-3

イエスは、生まれつきの盲人を見て、特別扱いをしたり、軽んじられたりはしなかった。

ただ、他の人と同じように「ただ神のみわざが、彼の上に現れる」ためだと宣言された。

障害や病気は、確かに生きづらさを伴う。だからといって、障害や病気が、社会参加の妨げになる事は間違っている。

このことに気がついた私たちが、リカバリーという考えを広めていくべきではないだろうか。

それは、クリスチャンとしての使命のようにも思える。

とにかく、このDVDは勇気をくれた。あきらめかけていたいろいろな事を、もう一度始めてみようと思う。

私にも、今の立場から、何かできることがあると信じて。