神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。(口語訳)
And God said, Let there be a firmament in the midst of the waters, and let it divide the waters from the waters. (KJV)
文脈
天地創造の二日目。まだ地上は茫漠として何もなく、ただ昼と夜があるだけだった。
ワードスタディー
おおぞら(firmament)
この言葉は、七十人訳聖書をラテン語訳した物を、更に英語に輸入した単語。ギリシャ語の「イデア」と同じような意味とのこと。
ヘブル語の意味には、広い平面とか、平面の広がりを示す意味があるとのこと。エゼキエル1:22にも同様の表現があり、この箇所では、み使いの姿を示すために用いられている。
どうやら詩的な言葉であり、これを明確に定義するのは難しそうだ。
おそらく、「第一の天」つまり大気をまとった空中を示すのではないか。
水と水
地上には海があり、その上に大気がある。このとき、おそらく地球全体が水蒸気の膜で覆われていたと考えられる(後の大洪水では、この水蒸気が一気に地上に降り注いだのではないか)。
ワンポイント
天地創造において、「分ける」という行為は非常に重要である。神はこの世界を混沌から秩序へと導き、ご自身の最高傑作である人間を創造するための準備を行われた。
今、私たちが当たり前のように享受している自然は、神によって創造された物であることを、もう一度思い起こしたい。
感想
このところ「分ける」という動作を頻繁に取り上げている気がする。
このことについて黙想していると、いろいろと気がつくことが多い。
一つ言えることは、神は清濁併せ呑むような、何でもありのお方ではない。常に完全な義なるお方であり、善と悪とを正しく裁かれるお方なのである。
そのようなお方が、私たちを愛し、ひとり子なるイエス様を罪の贖いとしてまで、私たちと交わり続けようとして下さるというのは、非常な驚きである。