Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

少しでも歯車が狂っていたなら

自分は一応役職付きで仕事しているのだが、この仕事をしていると所謂問題児というか、問題社員と遭遇することが多々ある。

問題社員と言っても、すべてが問題というわけではなく、なんというか自分自身の世界観みたいなのを持っている社員が「問題社員」と言われるのではないかと思う。

判断基準が独自基準というか、独りよがりな場合に問題社員と認識されるのではないかと思う。例えば、世間一般的には許容されないことであっても、自分自身の解釈として許容できる論理構成が出来上がっていて、それが通用すると思い込んでいるような。

案外、見るからに問題社員というような、問題行動を問題行動として認識して行っている人は少ないのかもしれない。

問題行動を問題行動として認識している社員の場合は、案外対処も簡単だと思う。しかしながら、それを問題行動だと思ってなくて、自分の中で論理的に正当化するというか、仕方がないこととして認識している場合は非常に厄介なことになる。

ここまで書いてきてふと思ったのだが、この状況はまさに学生時代の自分と同じなのだ。

所謂これは甘えであって、無条件に他人が自分の価値観に合わせてくれると思っているから生じる問題だと思う。

これを自分自身がどうやって克服したのかという点については、残念ながら今は思い出せない。でも、このような状況にかつての自分が陥っていたということは、多分間違いない。

自分が就職活動でうまく行かなかったのも、この甘えが透けて見えていたからかもしれない。色々と反省点がある。

問題社員にかつての自分を見出すというのは、正直気持ちが良いものではない。少しでも歯車が狂っていたなら、自分がこうやって指導される側にいたのかもしれないから。

今の自分にできることは、昔の自分がどうだったかをもう一度思い返して、できる限り適切な指導を彼ら・彼女らにしてあげることではないだろうか。

余計なお世話かもしれないが、論理的に自己を正当化できる人間は、それなりの論理的思考ができる人間なので、ぜひとも活躍してもらいたいと思っている。なかなか周りの理解を得るのが難しいが。

今の自分の中での課題かもしれないなと思う。