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Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

数えてみよ主の恵み

ご無沙汰しております。

気がつけば、もう少しで今年も終わります。今年も、いろいろな事がありました。

今年一年を振り返ると、最初から最後まで数え切れないほどの主の恵みをいただきました。今日は、その一部である、私たちカップルのお付き合いが続いたことについてお話ししたいと思います。

彼女の病気について

なんだ惚気話かと言われれば返す言葉が無いのですが、私たちカップルにとっては大きな事であります。

私がお付き合いさせていただいている女性は、統合失調症という持病を抱えています。

皆さんは、統合失調症という病気をご存じでしょうか。

この病気は、様々な症状が生じる病気です。以下に、説明のスライドを示します。

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統合失調症は、主に上記の四つに分類される症状が生じる病気です。

まず一番目立つのが、「陽性症状」と呼ばれる症状です。この症状の代表例として、幻聴が挙げられます。

この「幻聴」とは、端的に言えば、聞こえない声が聞こえるという症状です。それは、ある時は命令であったり、ある時はアドバイスであったりと、時と場合によって違うようです。

ただ、良い幻聴というのは少なく、大抵は悪い(気分を害する)幻聴であるようです。

次に、「陰性症状」と呼ばれる症状があります。この症状は、陽性症状が「火災」であるとするならば、その火災のやけどによる後遺症と言えるでしょう。

陰性症状の代表例としては、意欲がわきにくい、疲れやすい等の症状が挙げられます。

病気の「症状」としてはこの二つなのですが、長期にわたって残存する、「障害」とも言えるものもあります。

それが、「感情障害」と「行動障害」です。

感情障害は、陰性症状の一つとして考えられる事もあります。精神医学の専門書には「感情の平板化」だとか、「感情鈍麻」だとか書かれているような障害がこれに当たります。

感情が湧きにくくなったり、反対に過敏になりすぎて誤解したりする障害です。

行動障害とは、作業を完遂するために必要な能力に関する障害です。

私たちが何か作業を行うとき、無意識のうちに行動を計画し実行しています。統合失調症では、この「計画→実行」のプロセスに障害が発生し、段取りよく仕事ができない等のトラブルが発生してしまいます。

長々とお話ししましたが、このような症状が、比較的長期にわたって残存することが多いのが、この病気の特徴です。

 

さて、ご想像の通り、この病気には人間関係を難しくする要因が多数含まれています。そのような状況で、一年間お付き合いできた(もちろん、いろいろと危機的状況はありましたが)ということは、紛れもなく主の恵みなのです。

弱さをも誇る

始めに彼女の病気について話したのは、私たちが「弱さを誇る」という事に重きを置いているからです。

実は私も、メビウス症候群という難病を持って生まれた者だったりします。私の場合は、そんなに重くないのですが...

それはいいとして、聖書にこのようなみ言葉があります

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

第二コリント 12:9

この言葉は、使途パウロが書き残した言葉です。彼は、肉体に「とげ」を与えられて苦しんでいたとき、そのとげを取り除いてくださるように三度祈りました。

その祈りに対する答えが、このみ言葉です。

一般社会では、病気であるとか、障害を持っていることを隠す事が多いです。そうしないと、不当な扱いを受ける事があるという現実があるからです。

しかし、私たちクリスチャンはそうではありません。弱さをも誇るのです。

それは、神様の力が完全に現れるためなのです。

もし私たちがとても元気で財力や能力もあったなら、私たちがうれしそうに過ごしていたとしても、それは元気や財力や能力があるからだと思われてしまいます。いくら「主がいてくださるからだ」と証しても、あまり信じてもらえないかもしれません。

しかし、あまり元気もなく財力や能力も無いのに、うれしそうに過ごしていたとしたなら、それは神様の力だと認めざるを得ません。

私たちが、神様の力を「お借りする」と思っている内は、神の力は完全に現れないのです。

そうではなく、私たちが弱いとき、空っぽの時に神様の力が「宿る」のです。

我らの国籍は天にあり

私たちの希望は、更に続きます。

「弱さを誇る」とは言うものの、誰しも辛いと倒れそうになる時があります。

そんなとき私たちクリスチャンは、やがて起こることに希望を置くのです。

私たちは、死で終わる存在ではありません。死の向こうに、永遠の命を与えられる希望を抱いているのです。

やがてこの世界が終わりを迎え、キリストが再臨される時が来ます。また、その後新しい天と新しい地が造られ、私たちの体も新しく造り替えられる時が来るのです。

新しく造り替えられた体には、死も病も、涙もありません。何とすばらしい事でしょうか。

私たちは、この希望を抱きつつ、日々病や障害と共に過ごしているのです。

私たちは、この地上と共に天に国籍を持ち、天に希望を持っているのです。

最後に、み言葉を挙げて終わります。

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。

第二コリント 4:8-9

 

しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

ピリピ3:20-21

最後まで読んでくださってありがとうございました。

皆さんの上に、主の恵みがありますように。