Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

老害にならないためには

最近、言葉は悪いが老害について考えている。

老害について色々な定義があるが、私個人の定義としては、昔のやり方に固執した、成功体験を捨てられない柔軟さに欠けた人物としたい。

彼らは、とにかく昔の成功体験に固執する。最近教会のことばかり書いていて怒られそうだが、教会での老害とは「ハコモノを建てて、なんかイベントやったら人が集まる。みんなでやったら楽しいじゃん」という発想を捨てられない人だと思ってる。

言うまでもなく、この発想は絶望的に古い。たしかに立派な会堂は良いし、色々なイベントをきっかけに教会と親しくなることもある。しかしながら、よく考えてみると、本来教会に来たいと思ってるような人たちは、こういうパリピみたいなことに苦手意識を持っているのではないだろうか。

確かに、50年前くらいなら、かの有名な本田クルセードで熱狂的に救われた人が居るかもしれない。それはたしかに素晴らしいことであるが、いつまで50年前の熱気を引きずっているのか。もっと冷静にならなければならない。

だいたい、本田弘慈先生とか、バックストン先生とか、内村鑑三先生を神格化し過ぎである。50年とか100年前に成功した宣教の方法論を学んで、現代に何が活かせるというのか。

これは言ってみれば、今から論理回路を勉強してALUとかアキュムレータを設計したら、それをそのまま現代のインテル製CPUに応用できると言っているようなものである。つまり、学生時代に学ぶような基礎の基礎を、実践に応用できると本気で信じ込んでいるのである。これは手に負えない。

インテリ気取りの方々は、実はそんなにインテリではないのに、本ばかり読んで知識をため込んでインテリだと自認している。本当のインテリは知識を持っているのは前提として、その知識をきちんと活用できる人のことを言うのである。今どき、キーワードを知っていてそれに脊髄反応するなんて、子供でもネットを使ってればできることだ。

自分を含めて、老害になってないか自問自答してほしいものだ。