Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

障害者として生きていくということ

大なり小なり障害を持っていると、障害者として生きるというのはどういうことか、嫌でも考える時期がある。

行く所行くところで、障害者だからと配慮してくれる人が居るわけではない。ときには理不尽なことを言われることもあるだろうし、要求されることがあると思う。

障害者として生きていくというのは、健常者のそれよりよっぽど戦略的に動かないと色々とつらくなる。職業選択にしてもそうだし、もっと言うなら高校や大学の専攻選びでもそうだ。

自分の場合、たまたま工学をずっと専攻してきて、今の職場でもその能力を活かして価値を提供できている。ただこれはたまたまであって(これを私達は神の計画ともいうが)、なにか歯車が一つでも狂っていれば今の自分はない。

障害者であるということは、間違いなくハンディキャップになる。これが自分に有利に働くことなどは無いと言い切って良いと思う。

特に一般就労をしたいなら、なおさら障害というのはハンディキャップにしかならない。障害について説明したところで、得られるのは良くて合理的配慮であって、手厚いサポートではない。誰でも自分で生きていくなら、自分のことは自分で解決しなければならないのだ。

思い起こすと、これと同じようなことを、小さい頃から周りの大人に言われてきた気がする。その中には二度と顔を見たくないような人間もそりゃ居るけど、彼らのすべてが間違っていたとは思わない。現に、今の職場でなんとなくうまくやれてるのは、その時の嫌な経験が活きてるみたいな部分もある。

障害者として一般社会で生きていくのは、健常者のそれよりも努力がいるし、精神力も要る。このことをもっと全面に出して、障害は個性なんて甘っちょろいことを言う人々に現実を叩きつけるべきではないだろうか。私達は現実を生きている。