私生活や社会生活で、なんだかうまくいかないことは誰しも経験があると思う。
そんなとき、僕はいつも「自分はどう思っているのか」について考えるようにしている。
世の中では、~すべきだとか、~したほうがよいというハウツーにあふれている。それはまあ当たり前の話で、他人と共有できる情報なんてハウツーくらいしか無いのである。
いろいろな情報を取り入れて「自分にはどう適用するか」とか「自分ならどうするか」なんてのは、自分自身にしか答えが出せないことだ。これを他人に委ねても仕方がない。
僕はもともと、社会に順応できる人間ではないと思っている。
まさにぼっちちゃんみたいなコミュ障だと思ってる。
でもね、ぼっちちゃん見てると、普通に社会生活送ってる人はわかると思うんですよ。この子はちゃんと擬態できるって。
彼女は下北沢の大天使こと虹夏ちゃんとか、コミュ力マックスインフルエンサーの喜多ちゃんとの関わりの中で、確実に成長してる。これが感じれるから、ぼっち・ざ・ろっくって良作だと思うんだ。
古いアニメでは、N・H・Kへようこその岬ちゃんとかね
まあ、とりあえずなんかきっかけがあれば、人ってたいてい変われるんですよ。
とは言うものの、この「変わった」と言うのはあくまで社会生活での自分であって、自分の感情とか自分の本質って意外と変わらんのですよ。社会生活ってのは、この自分の変わらない本質と、身につけた社会性との折り合いをつける生活だと思う。
だから、いわゆる常識的な態度で生活できるし、他の人ともそこそこ上手くやってける。でも、これってただなんかそれっぽく演じてるだけなんですよね。
演じるのはつかれるので、化けの皮を剥がして丸裸になるときって必要だと思うんです。そのやり方は人によって違うけどね。
家庭を持ったり、会社でそれなりの立場になってくると、段々と化けの皮を剥がす方法を忘れちゃう傾向にあるのではと思ってる。だからみんな病むんじゃないかな。
そんなことを思った。