Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

学生時代を思い出す

最近、会社で自分の直属の部下に関する悩み事が多く、その度に自分の学生時代を思い出している。

学生時代、自分は一度失敗している(いや二度かもしれない、三度かも・・・・)。とにかく、うまく生活できなかったことを思い出す。

まず失敗したのは、高専2年生の頃だったと思う。当時仲良くしていた友達と寮で同室になったのだが、何だったか忘れたけど喧嘩をしてしまい、それ以降疎遠になってしまった。

せっかく専攻科まで一緒だったのに、非常に悪いことをしたなと思う。

次に失敗したのは、高専3年生の頃だったか。これも人間関係の失敗で、あんまり上手く行かなかったことを覚えている。

その次に失敗したのは、高専5年生~専攻科1年生の頃だったと思う。今度は研究室の指導教員とうまく行かなかった。

当時は指導教員が一方的に悪いと思っていたが、今思うと、自分も相当無茶苦茶していたと思う。当時の指導教員の言動が適切だったとは思わないが、自分がもし相手の立場なら、同じようなことをしていたかもしれない。

就職活動も難航した。当時はなぜか技術職員を希望していたのだが、いかんせん椅子が少なすぎて分が悪いってレベルではなかった。公務員というのは椅子が少ない。

というか、普通に考えて自分は公務員には適していないと思う。一度、学校という閉鎖空間で失敗しておいて、なぜもう一度同じ環境に飛び込もうとしていたのか。今となっては全くチグハグな話で、そりゃ受からないわけだ。

流石に技術職員は諦めて他の職も検討したが、どれも採用までは至らなかった。まあ、今考えたら、採用されなくてよかった気がする。

今の会社は、こんなぼろぼろな状態で、なんとか引っかかった会社だ。まあ、結果的にはこれで良かったのかもしれない。

昔を思い出して思うことは、当時の自分がいかに自分を客観的に見れていなかったかということだ。まあ、今の自分でさえ自分を客観視できているとは思わないが、当時は今以上に客観視できていなかった。

客観的に見た当時の自分は、到底生活が成り立っているとは言えない状況だった。もしかしたら、今悩んでいる直属の部下と同じような状況だったかもしれない。やる気はあるけど、心身がついていかない。そんな状況だったような気がする。

一般的な人間がその人らしく生きていく上で必要なことは、思っているほど多くない。規則正しい生活と、その人にあった役割さえあれば、人間というのはそれなりに社会生活を歩んでいけると思う。

規則正しい生活というのは言及するまでもないことだが、その人にあった役割というのは、実はちょっとむずかしい。

僕みたいな理系人間は、どうしても自分の役割=専門性を生かした仕事と考えがちだが、必ずしもそうではない。

僕は入社当時、今管理している現場の一作業員として働いていた。最初のうちは正直不服だったが、しばらくするとそれなりにやりがいを感じてきた。今は出世して管理側に回っているが、気楽さで言えば一作業員のほうがマシだった。管理側の仕事というのはストレスがつきものだ。

元に悩みが絶えないし、体重も減った。まあお賃金も増えて趣味に使える金が増えたので、トレードオフみたいなものだが。

こうやって自分の現時点での半生を考えると、色々な人に迷惑をかけつつ、なんとか人並みの社会性を身につけることができた半生だったなと思う。自分の半生を思い出すと、今悩みのタネとなっている部下なんて可愛いものだと思う。とはいえ悩みは悩みだが。

今の自分を客観的に見ると、結婚して一軒家も持っていて、会社でもそれなりに出世街道を歩んでいて、順風満帆のように思える。

とはいえ、教会生活はうまく行かなかったし、他にもうまく行かなかったことはたくさんある。

色々と経験して今言えることは、うまく行かない状態でダラダラ続けていても、殆どの場合もっとうまくいかなくなるだけで、良い結果には至りにくい。何事も早期発見・早期対処が必要なのだろう。

余ってたサーバーをデスクトップにした

部屋の模様替えでモニターが一枚余ったので、しばらく放置していたサーバー機にopenSUSEを入れてデスクトップマシンにした。

特にこれといった用途はないのだが、自宅ラボの休憩スペースとして使っている机で使っている(この記事もそのパソコンで書いている)

いつもはopenSUSEのLeapを入れているのだが、今回はTumbleweedを入れてみることにした。Leapは安定しているものの、今まで使ってる感じだと、どうも諸々のパッケージが古い気がする。

Linuxの一番面倒なところは、ディストリビューションのバージョンアップが頻繁にある割には、アップグレードが面倒な部分だと思う。まあ、普通にISOを使ってオフラインアップグレードすればいい話なのだが、せっかくほとんどのアップデートがオンラインでできるのに、ディストリビューションアップグレードがオフラインというのはもったいない。

まあ、Debianなんかはかなりそのへん柔軟らしく、サーバーとかにはいいのだろうけど、正直自分は昔からrpmなシステムに慣れているので、どうもdebian系はとっつきにくい。

特にUbuntuはあまり好きではない。僕はFSF信者でもストールマン信者でもないので、別にプロプライエタリなソフトウェアをオープンソースと抱き合わせするな的なことは言わないが、どうもあいつは独自機能が多すぎる。Unityは正直使いにくい。

僕は昔からopenSUSEを使ってきたので、デスクトップ環境はKDEを好んで使っている(低スペックPCではxfceだが)。UbuntuにもKubuntuがあるが、個人的に微妙なので、やはりUbuntuは選択肢から外れる。

まあそんな感じで、openSUSEをぼちぼち使っていこうかと思う。

ラヴィーネかわいい

最近は葬送のフリーレンを追いかけているが、キャラクターの中でラヴィーネが気に入っている。

あの外見と中身の合ってなさが非常に良い。あと鈴代紗弓さんが声優ってのもいい。ぼざろ声優が活躍しているのを見られるのは良い。

鈴代紗弓さんだけではなく、長谷川育美さんも結構活躍してる(フリーレンではユーベルか)。水野朔もひきこまり出てたみたい。

ラヴィーネの話に戻るが、特に22話の宿屋で女子会してるときのラヴィーネが尊かった。一級魔法使い試験で張り詰めた雰囲気が続いた中で、あんな感じで閑話休題的な回があると非常に良い。

よく考えると、あと数回で2クールが終わってしまう。まあここまで人気になれば続編も作られるだろうけど、しばらくフリーレン
要素を得られないのはちょっとさみしい。

最近のアニメというか、まあ自分が作品を見すぎたということもあるかもしれないが、続きを想像できてしまう作品が増えてきたように思う。どうしても、新しい要素というのはそう再々出てくるものではない。

聖書の伝道者の書で、ソロモンが新しいと思ったものはすでに昔にあったものだという旨のことを言っているが、アニメというのもある程度歴史を重ねた結果、このようなことが起こってきているのかもしれない。

学生時代、研究の新規性というものを問われて、かなり困った覚えがある。特許や実用新案なんかでも新規性が重要となってくるが、これを証明するのはなかなか難しい。

自分の考え出すもののほとんどは、今までの人類の歴史の中で、すでに考え出されたものであることが多い。そこに新規性を見出すのは、なにか一捻りというか、時代の進歩によって生まれた新しい技術とか、新しい考えを入れていく必要がある。

良くも悪くも時代の変化というものは必然であり、そこから目をそらすと新規性があるものを考えにくくなる。なかなか難しい。

ラヴィーネというキャラクターも、ある意味新規性というかギャップを持っているキャラクターだからウケているのかもしれない。あんだけかわいい格好してて、口調が荒いってのはギャップだよね。まあ、他にも似たキャラはいそうだけど。

君は完璧で究極の変人

今朝、スマホを落として画面の一部が常時点灯するようになった。

普通は気分が落ち込むところだと思うが、私はなぜか、このスマホに一層の愛着を持った。

それはどうしてだろうと考えていると、自分の中には変人であるという自認と、普通になりたいという願望が共存しているからではないかと思った。

変人である自分は、正直ちょっとくらいスマホが壊れてても、動けばいいと思ってる。スマホに限らず、プログラムでもなんでも、とりあえず動けば後はなんとでもなると思っている。

だからジャンク品でも普通に使うし、DIYで色々なものの改造をやったりもする。まあ要するに変人なのである。

一方では、なにかものづくりをする際でも、それ以外でも、一般常識になるべく従おうとする自分もいる。これは多分、今まで生きてきた中での生きづらさの現れだと思う。自分なりの処世術と言ったところだろうか。

初期の段階ではこれはうまく行ったと思うのだが、もう一段飛躍するには、この処世術はどうも足かせになっているようにしか思えない。

よく今年の目標とか言うけど、今年は完璧で究極の変人になることでも目指してみようかな。

肩こり改善

肩こりを改善したいなと、昔からずっと考えている。

自分はパソコン作業が多いので、肩こりを改善するなら作業環境をどうにかすればいいとは思う。

とは言っても最適な作業環境ってよくわかってなくて、かれこれ中学生時代から延々と自分にとって最適な環境を追い求めている気がする。

最近は、自分の目線よりディスプレを下に置いたら楽なのではと思い、暫くモニターの位置を変えてみたのだが、これをやり始めてから肩こりが悪化してしまった気がする。

というわけで、今度はディスプレを目線と同じか若干上方向になるように設置して様子を見ている。

正直、この位置だと首が疲れるのだが、その分同じ姿勢で作業し続けることが減って、あの脳に酸素が行かない感じの酷い肩こりにはならないようになった気がする。

そもそも、ディスプレを見ながらキーボードやマウスで作業するという行動自体が、人体の構造的に無理が生じる作業じゃないかとも思う。

そうは言ってもパソコンをイジらないと仕事も遊びもできないし、なかなか困ったものだなぁ。

疲れのバロメーター

自分は結構疲れやすくて、知らず知らずのうちに疲れをためてしまうことが多々ある。

この疲れというのが案外厄介で、主観的には結構分かりにくかったりする。

どうも自分は疲れに気づかず、無理をし続けてしまう傾向があるらしい。

この疲れのため具合というのがまた絶妙で、なんとか仕事ができるレベルでの体力の温存はできるが、正直それ以外のことに手が回らないような状態になることがよくある。

これははっきり言って良くない状況なのだが、阻止するのがなかなか難しい。どうしたものかなと思う。

思うに、なにか疲れのバロメーターになるような指標を見つけるべきだと思う。例えばゲームをしてても集中できないとか、すぐに止めてしまうとか。

あるいは趣味をやる気にならないとか、そういったこと。

まあ一番わかり易いバロメーターといえば、風呂に入ったあと寝落ちするとか、そういったことだろうか。

ぼちぼちいきたい

文章を書くのが好きだと思った時代もあった

今、仕事で使う企画書とかプレゼン資料とか作りながら、そういえば昔は文章を書くのが好きだと思ってた時代があったなと思い出した。

その昔、高専の低学年の頃は正直なところ学校の授業についていけなくて、自分は理系には向いていないと思っていた(今でも別に理系が向いているとは思っていない)。

まあだからといって、文系の大学に行ってたらそれこそ詰んでたかもしれないけどな(コミュ力無いので)。

他人から言わせると、自分は間違いなく理系らしいので、まあそうなんだろうなとは思う。

こうやってダラダラと脈絡もなく書く文章は確かに楽しいが、論文や報告書、プレゼン資料の類というのは、どうしても理路整然とした文章を求められる。

確かにそういう文章も書けないことはないが、正直そればかりやってると疲れるのだ。だから、今も息抜きでこんな文章を書いている。

そろそろ再開するかねえ。