パウロ書簡を読んでいると、パウロ自身の信仰生活が一筋縄でいかなかったというか、困難の多い一生であったことが様々な箇所からうかがえる。
当然といえば当然なのだが、パウロ自身の出自が主な原因だろうが、あまり人に信用してもらえなかったような部分がある。まあ、普通に考えて、かつて自分たちを迫害していたような人間を簡単に信用できるとは思わない。
12使徒でも無ければイエスの公生涯を共に経験した訳でもないから、経歴的なバックエンドはなにもないのに、ここまで宣教に身を投じれたのは不思議である。
それほどダマスコ途上の出来事が衝撃的であり、神の啓示があったのかもしれない。
自分自身も、過去にはそのくらいの勢いがあったときもあるが、なかなかそれを継続するのは難しいものである。現代のキリスト教会、とりわけ福音派のキリスト教会というのは問題だらけであるので、それを目の当たりにしてもなお、勢いを保つのは難しい。
今では、教会にもいかず、ハーベストタイムの動画配信を見るだけとなっている。それでさえ、以前に礼拝に望んでいたような姿勢ではどうも眠くなってしまい(多分拒否感みたいなものがあるのだと思う)、礼拝を聞きながらブログを書くくらいじゃないとまともに内容が頭に入ってこない。
このことについては色々と書きたいことがあるので、またぼちぼち書いていきたい。