'わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。 '
テモテへの第二の手紙 4:7-8
https://www.bible.com/ja/bible/1820/2TI.4.7-8
走るべき行程というのは、おそらく一人ひとりに神が与えられた行程があるのだと思う。
自分はこの「走るべき行程」を走っているかというと、全然そんなことはないと思う。立派な脱落者であり、とてもじゃないが神にも、パウロにも顔向けできない。
今の自分の体たらくはどうだろうか。教会にも行ってないし、この記事を書いてるのも、ハーベストタイムの動画配信を見ている最中である。どうも、まともに向き合うことができなくなったような気がする。
まあこんな状態でも、やはりキリスト教というか、イエス・キリストとの出会いというのは霞むばかりか、その影響は常に続いているのだ。不思議なものだなと思う。
これからも、まあ不良キリスト信者として生きていきたいものである。