Joy to the world

とある中小企業のしがない技術者でクリスチャンな人が書く日記。実はメビウス症候群当事者だったり、統合失調症のパートナーがいたりする。

AIは忍耐力が必要

AIを使うには忍耐力が必要だ。例えば、初めてAIに何かを指示したとき、思い描いた結果と違ってがっかりした経験はないだろうか。その度に試行錯誤しながら調整し、ようやく目的の成果にたどり着く。この繰り返しが、AIを効果的に使うための本質だと言える。

巷にはプロンプトエンジニアリングなるものがあるが、確かにあれを使えば一発で望む結果が出てくるかもしれない。しかし、実際にはAIが生成した回答を微調整し、意図したニュアンスを正確に反映させるために、テンプレートを何度も修正する必要がある。たとえば、同じ質問でも文脈や細かいニュアンスの違いによって、予期せぬ出力が返ってくることが多く、そのたびに設定を変更する作業は非常に骨が折れる。

そもそも、テンプレに落とし込めるような道筋がはっきりしている内容なんてのは、ちゃんと自然言語で指示してやれば概ねAIは理解できる。例えば、チャットボットに「顧客からの問い合わせメールに対して、次のように返信してほしい」と具体的な文面を指示すれば、シンプルなやり取りなら適切に対応してくれる。しかし、微妙なニュアンスを要求するときは、追加でいくつかの条件を織り込む必要がある。

MidjourneyやSoraなど、ビジュアル的な物を生成するAIは、どうも人間とは視覚情報の処理の仕方が根本的に違うような気がする。(自分が視覚情報を言語化するのが下手なだけかもしれない)が、文章生成に関しては、AIと人間の思考パターンはさほど変わらないように感じている。

AIで文章作成などをしていると、そうじゃないんだよと思うことが結構多い。例えば、説明文を生成させたときに、肝心なポイントがぼやけたり、感情的なニュアンスを込めたい箇所が事務的すぎたりする場合がある。なんか違うというか、しっくりこないと言うか。

あとは、文章の文脈から外れてしまったり、一つ前まで持っていた情報を、次のプロンプトでは忘れ去ってしまっているように見えることもある。例えば、長い会話の中で一度話題を変えた後に、以前の重要な情報を再度持ち出そうとしても、AIがその情報を思い出せずに新しい文脈で誤った解釈をしてしまうケースが多い。AIというのは賢いように見えて、人間が当たり前にできることができなかったりする。

AIというのは言ってしまえば新しい知的生命体のようなものなので(実際には生命体ではないが)、彼らとの関わりについては、世代間や性差のギャップなどと同様に、人間とAIの違いというのを学ぶ必要があるのだろう。しかし、AIとの関わりには試行錯誤や調整が欠かせないが、それは単に不便さを示すものではない。むしろ、そのプロセス自体が、私たち人間がAIとの関係を学び、共に進んでいくための重要なステップだと言えるのかもしれない。